4年で別れた元夫は金欠で根なし草。難病まで抱えた彼を見捨てられず、手を貸し続けて早16年
◆華やかな生活を夢見る彼 元夫がタクシー運転手になって10年。彼は独立した。会社に勤めて一定期間無事故無違反を続けると受験できる、個人タクシーの試験に受かったのだ。 彼が独立に際して手に入れた中古のプリウスは、とても安かったがボロボロ。私を墓参りに連れていってくれた時に、墓地の駐車場で動かなくなってしまった。走行距離30万キロ超。相当な距離を走っているのだから、諦めるしかない。 彼は「車がないと仕事にならない」と嘆く。まったくその通りだ。駕籠かきが、駕籠を持っていないようなもの。私は、「これで買っておいで」と彼に金を渡した。 その昔、戦国時代の武将・山内一豊の妻は、「これで馬を買いなさい」とお金を渡したらしい。結果、一豊は戦でうんと手柄を挙げた。 私は生活費をもらっていないのだから、一豊の妻とは立場が違っている。でも、個人タクシーの事業がうまくいけばもっと稼げるはず、と彼は言う。会社員時代は売上げの半分が会社の取り分だったけれど、個人になったら収入が倍になる。毎年海外旅行に行こうとか、毎月温泉に行くのだとか、華やかな生活を夢見る彼。 私もともに夢を見た。きっと車のお金も返してもらえるだろう。そして、今までの恩を私に返してくれるだろうと期待が膨らんでいた。 新車を買うにはお金が少し足りない。そこで手に入れたのが、比較的新しい中古のクラウン。彼は再び墓参りに私を連れていってくれた。駐車場に停めたクラウンはピカピカだ。もちろん、帰る時もちゃんと動いた。
◆夫の着ぐるみを着た別人がそこにいる ところが彼の個人タクシー事業は、営業を始めた途端、コロナ禍にぶち当たった。緊急事態宣言が発出され、タクシー需要は激減。会社員時代と変わらず、生活はカツカツだ。 給付金でなんとか堪え忍んでいた彼を、さらなる不幸が襲う。ある日、片方の脚が付け根から爪先まで、象のようにぱんぱんに腫れあがった。皮が引っ張られ、ひざを曲げることもできない。嫌がる男を病院に連れていき、調べてもらった。 免疫の壊れる難病という診断。それからはずっと、病院と縁が切れない。「今日明日が危ない」と医師に言われたこともある。 泡を喰った私は、この時点ですでに離婚して12年も経っているのに(それは実に婚姻期間の3倍だ!)、戸籍だけでも夫婦にしておかないか、と彼に提案した。家族か、家族でないか。コロナ禍の病院では厳然と区別された。家族ならば病状を聞くことができるが、家族でなければ、いくら頑張っても蚊帳の外。 離婚後、私たちは一緒には暮らさなかったが、自転車で15分ほどの距離に住んで、週末は一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べたりしていた。夫婦だった頃よりもずっと関係はよい。それなのに、病院で「あんたは家族ではないから関係ない」と言われたくない。