クラブ消滅で幻に終わった“PR策” 「忘れもしません」…日本サッカー界へ願う“持続可能性” 【インタビュー】
NPOの活動を通じ「持続可能な組織や活動の在り方を考えていきたい」
大松氏は現在、富山銀行の参与・ビジネスソリューション担当部長を務める傍ら、NPO法人「富山スポーツコミュニケーションズ(TSC)」会長として県内の生涯スポーツ普及やスポーツ文化振興の活動を行っている。 フリューゲルス消滅の悲劇は、どのような形で今につながっているのか。 「持続可能な組織や活動の在り方を考えていきたいと思っています。クラブ消滅という経験をきっかけに、その大切さをいろいろと考えるようになったので。例えば、子供たちのスクール事業でも一度やると決めたからにはずっと見守っていける仕組みを構築しなければなりません。町のクラブで子供が集まらないために閉鎖に追い込まれた例を度々耳にします。富山でも例外ではありません。そういう話を聞くと、やはり残念な気持ちになります」 そのために、今後特に力を入れて取り組みたい分野があるという。 「日本では競技団体同士が縦割りの構造になっているので、その壁を取っ払っていきたいと考えています。例えば、サッカーと野球の両方が得意でも同時に打ち込みづらい環境になっていますよね。一部海外ではマルチスポーツが一般的ですが、日本でもそれができる仕組みがあってもいいのではないかと。一朝一夕には難しいですが、解決のための活動を続けていくつもりです」 フリューゲルス以降、Jリーグではクラブ消滅の事例はない。その点でレガシーが残されたと言えるが、美談だけで語れないのも事実。大松氏のように悲劇を経験した人の思いが、今後の日本サッカー界に受け継がれていくことを願うばかりだ。 [プロフィール] 大松暢(おおまつ・とおる)/1962年生まれ、東京都出身。現役時代は筑波大学蹴球部の出身で、85年から90年までJSLの東芝でFWとしてプレーした。引退後に佐藤工業株式会社へ入社、出向先の全日空スポーツで横浜フリューゲスの立ち上げに関わり、チーム統括マネージャー、ホームタウン営業課長などを歴任。2003年から有限会社シュートで木村和司氏のマネージャーやさまざまなサッカー事業に携わり、2011年に佐藤鉄工へ転職し東京営業所鉄構営業部長を務めた。現在は富山銀行にて参与・ビジネスソリューション担当部長を務める傍ら、NPO法人「富山スポーツコミュニケーションズ(TSC)」会長として県内の生涯スポーツ普及などに取り組んでいる。
FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治 / Ryoji Yamauchi