過去の自分を救いたい SKY-HIが他人をプロデュースしはじめた理由
パフォーマンスグループ「AAA」でデビューし、ソロラッパーとしても活動してきたSKY-HIさんは、数年前までは自分のパフォーマンスを突き詰めていくことしか考えていなかったそうです。しかし、昨年にマネジメント&レーベル会社BMSGを設立し、自費でオーディションを開催。11月3日には、自らがプロデュースを担うボーイズグループ「BE:FIRST」がレーベル初のデビューを飾ります。 長年プレイヤーだったSKY-HIさんは、なぜ大きく方針を変え、「他人をプロデュース」することに決めたのか。その覚悟の裏には、過去の自分に似た境遇の若者を助けることで自分自身も救われたいという、切実な思いがあるといいます。彼が目指す、最高に幸せな音楽人生の在り方とはなにか、お話を聞きました。
自分の道は自分で決める セルフプロデュースの人生
――SKY-HIさんは長年プレイヤーとして、自分自身を「プロデュース」されてきましたね。 子供の頃から、自分のことは自分で決めたいタイプでした。両親が厚意で「こうやったらいいんじゃない?」と言ってくれるのは、参考意見として大事にしてきましたが、何に興味を持つか、何を取捨選択するか、将来何になりたいかは、常に自分で決めていました。自分で習い事のスケジュールを調整したり、勝手に辞めてきたこともありますね(笑)。 自分で決めないでいて、あとで親や周りのせいにしたくないなと。小学校3~4年生にして「どうやら自分の人生に責任持てるのは自分しかいなさそうだな」という認識がありました。 ――自分で何かを決める時、特に意識していたことは? 進む方向性が合っているかどうかは、常に考えていましたね。例えば、中学~高校時代はバンドでドラムを叩いていたんですけど、「ボーカルのあいつが作ってきた曲で、なんとなくやってないか?」「そもそも自分はどういう音楽を嗜好しているのか?」「我々はどんなバンドを目指しているのか?」ということを考えてきました。最終的に「あ、このバンドは高校いっぱいで解散することが正解なんだな」という判断に至ったりもしましたけど。ソロアーティストとしての活動も、これの繰り返しのような気がします。 ――学生時代からずっと音楽活動をされていたんですね。 高校時代は、卒業したら解散という前提で、遊びで7つくらいバンドを組んでいました。色々実験的に音楽をやったのはすごく良い経験でしたね。MTRにペットボトルの音とか、バケツ叩く音とか入れて、打楽器とラップで曲を構成したり。今考えると、楽しかったなぁ。 結局どういった形であれ、一人で音楽を作り続けるだろうなとは、高校生の時から思っていました。大学を卒業したら、音楽関係に就職したりするのかなと。でも、ふと気づいたんです。あれ? 大学を出る頃には22歳か。22歳のアーティストって若くねぇな。ダメだこれ、ちょっと早めにやってみよう。そう思ってエイベックスに履歴書を送ったのが、16~17歳頃でした。