七宝の技法用いた「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」、中国・唐の工人が制作した可能性…正倉院展
奈良国立博物館(奈良市)で開催中の「第76回正倉院展」に出展されている「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)」は、金属にガラス質の釉薬(ゆうやく)を焼き付ける「七宝」技法を用いた正倉院唯一の鏡だ。宮内庁正倉院事務所の調査で複雑な構造が判明し、中国・唐の工人が制作した可能性が指摘されている。(奈良支局 栢野ななせ) 三つの層になった黄金瑠璃鈿背十二稜鏡の再現模造。一番下が鏡の部分。その上に銀盤、花びらと金板の装飾がある(第76回正倉院展図録から)
鏡は銀製で長径18・5センチ、縁の厚さ1・4センチ。背面は緑や黄色の釉薬を焼き付けた花びらで装飾し、8世紀に唐で流行した宝相華(ほうそうげ)文を表現する。宮内庁正倉院事務所の調査によると、構造は鏡面、銀盤、花びらと金板による装飾の3層になっているとみられる。調査に関わった前正倉院事務所長の西川明彦さんは「唐の工人が作ったと考えるのが理にかなう」と話す。
一方、鉛ガラスの釉薬成分が十分に溶けきらずに色が不透明で、内部に気泡が入るなど粗雑さもみられた。日本で七宝工芸が普及するのは近世になってからで、十二稜鏡を近世作とする説も唱えられたが、西川さんは「七宝の制作技術の未熟さと宝相華文の意匠から8世紀の作と考えるのが妥当」と指摘する。
古代東アジアで制作された七宝装飾の品は少なく、牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県明日香村)から出土した棺(ひつぎ)の飾り金具などがあるぐらい。8世紀の七宝装飾品では、ほぼ完全な形で国内に伝わる唯一の品が十二稜鏡と言える。
鏡の謎もまだまだ残る。西川さんは「材料は国内でも入手でき、制作地を特定することは難しい。科学分析やガラス流通の状況を踏まえて検討する必要がある」と述べ、調査が進むことを期待している。