「いざとなれば離婚!まだ50代だし」と思っていた新田恵利 夫のがん闘病で変化した「夫婦の関係」
── 一緒に食べ続けていれば、そうなるでしょうね…。 新田さん:「はい、食べて」と言われるよりも、一緒に食べたほうが食欲がわくし、おいしいかなと思って、頑張ったんですよ。でも、その代償は大きかったですね。年齢的なものなのか、なにをやっても体重が落ちなくて。さすがにこのままではまずいと思って、重い腰を上げた感じです。「太ったのはあなたのせい!」と、夫に文句を言っています(笑)。
■初めて死を目の当たりにした夫 ── 病気を経て、夫婦関係になにか変化はありましたか? 新田さん:以前と同じようにケンカもしますが、引きずらなくなったのは違うところかな。もともとよくしゃべるし、出かけるときには手も繋ぎます。夫婦仲はすごくいいと思うのですが、それでも以前はケンカをすると「いざとなれば離婚という選択肢もある!まだ50代だしね」なんて思っていたんです。 でも、夫が病気になって、私の前からいなくなってしまうかもしれないという怖さをリアルに感じ、彼がどれだけ大切な存在なのかを思い知りました。だから、たとえケンカをしたり、イラっとしても、「隣にいてくれるだけで、まあいいか」という気持ちに行き着き、怒りが持続することがなくなりました。怒っている時間がもったいない。どうせなら、笑って過ごしたいですしね。彼も大病を経験したことで、物事の見方や人生観が大きく変わったようです。
── たとえばどんなことでしょう? 新田さん:初めて死というものを目の当たりにして「人生は有限」だと痛感し、残りの時間をどう有意義に過ごすか、真剣に考えたみたいです。ダラダラとゲームをして過ごすことはなくなりました。頻繁に行っていた趣味のダイビングも控えて、私との時間をできるだけたくさん作ろうとしてくれていることがわかります。この間は、夫婦でベーコンとハムを作ったんですよ。 物事の感じ方にも変化があったようです。私はもともと、道端に花が咲いているのを見るだけでも「ああ幸せ~」と思えるタイプなのですが、夫はそういう性格ではなかったんですね。でも、病気をしてからは、自然界の色彩や匂いといったものを色濃く感じるようになったのだそう。病はときに、いろんなことを学ばせてくれるのだなと実感します。
PROFILE 新田恵利さん にった・えり。1968年生まれ。埼玉県出身。1985年、「おニャン子クラブ」の会員番号4番としてデビューし、人気者に。1986年、「冬のオペラグラス」でソロデビュー。著書に、『悔いなし介護』(主婦の友社)など。2023年、淑徳大学総合福祉学部の客員教授に就任。介護についての講演活動も精力的に行っている。 取材・文/西尾英子 画像提供/新田恵利
西尾英子