僕らは宇宙を「老化させる」ために生きている...池谷裕二が脳研究から導く「生きる意味」
常識を手放し、全てのものに「保留をつけて考える」
タイトルの『夢を叶えるために脳はある』にも二重の意味を込めました。一見「将来の夢を実現するために頑張ろう」というスローガンに見えるものの、読み進めると、「脳は所詮、仮想現実をつくり出しているだけ」という意味でもあると気づく。けれども、最後まで読み切ると、1周回って「生きているって意味がある」というメッセージに立ち戻れるようにという願いを込めました。 仕事や人間関係で不条理やつらさを経験して、そのうえでポジティブになるのが一番です。長生きした高齢者の方が「いい人生だった」と語る言葉って、非常に重みがあるじゃないですか。だから、その否定から肯定までの長い旅路を、この本でたどってほしいと思ったのです。 ビジネスパーソンに伝えたいのは、生まれてきたことを誇りに持ち、生きることに自信を持ってほしいというメッセージです。私たちが問うべきは「人生にどんな意味があるか」ではなく、「どんな意味のある人生にしたいか」。意味を訊くのではなく、創り出すプロセスが大事なんだよ、という応援の気持ちが伝われば嬉しいですね。 ──人工知能が発達するなかで、私たちはどんなマインドセットを持つとよいでしょうか。 これまでの常識や価値観を頑なに守ろうとせず、一度手放す発想が大事になると思います。「人間はこうすべき」といった凝り固まった価値観のもとでは、今の人工知能、特に生成AIの出現は脅威に映るはず。けれども、科学の発見のように新たなものの誕生とともに、物事の価値は本来変わっていくものです。生成AIは人間の新しい価値を発見するためのツールの1つであり、大きな転換点をつくってくれました。 私たちは「自分にしかできないことを探さなくては」と焦るのではなくて、今まで見ていた景色とは違うところに目を向ける余裕を持つのがよいと思うんです。するとそこには、もっと面白い世界や新たな可能性が広がっています。 たとえば「人間がどんどん人造人間のようになって、脳内にソフトウェアをインストールすれば素晴らしい体験ができる。だが、人間の尊厳はあるのだろうか」と思うとします。私自身も「倫理的に足を踏み入れてはいけない」と考えています。ところが、100年後の未来に暮らす人たちは、「もっと改造すればいいのに」と思っているかもしれません。 このように、全てのものに「保留をつけて考える」ことは、本書で大事にしている姿勢でもあります。現在の価値観が最終結論ではなくて、常に新たな発見によって更新されていく可能性がありますから。 ──その姿勢は大事にしたいと思います。「人工知能と人間の脳の比較」についての解説で、「生きがいは、ヒトの不完全性から生まれる」とあったことにも、私は安心を覚えました。 もし私たちが完全だったら、生きがいなんてないですよね。失敗を経て何かができるようになる喜びも感じられない。足りない点があるからこそ、人間は魅力的であって、それは生成AIの出現で消えてしまうほど柔なものではないことがわかりました。 ■科学者の道を志すきっかけをくれた『人生論』 ──池谷先生の人生や価値観に影響を与えた本は何でしたか。 武者小路実篤の『人生論』というエッセイです。最初に私が『人生論』を読んだのは中学生の頃でした。彼の文章はくどくて読みにくく、「私のほうがうまく書けるのに」と思うくらいですが(笑)、私にとって人生の指針になっています。2つ印象に残っているところがあります。 1つは、彼のお母さんが最期を迎える際に痛みで苦しんでいたことから、「人間には痛みが過剰に与えられている」と書かれていたことです。中学生のときなので、人間の生態は進化の過程における最終産物の1つであるし、よくできていると思っていたんですね。だけど痛みを感じすぎるほど不都合を抱えているというのです。そこで「なるほど、人間はもちろん生物って不完全なんだ」と、本書にも通じる気づきを得ました。 もう1つ印象的だったのは、人生で一番大切なことは、過去の偉人たちが遺してきたもの、知見や芸術をたくさん勉強して引き継ぎなさい、という点。そしてそれをプラスアルファして後世に伝えなさい、と書いてあった点です。 この言葉に出合った当時、これを実践するのに一番よいのは科学者になることではないか、と思いました。科学者なら、何かしら発見したことを論文にすれば、後世に引き渡すことになるのではないか。そう科学者を志すきっかけを与えてくれた本でもあります。