江戸と東京に架ける橋 東京五輪後を展望した「日本橋」を考える
大切なのは東京五輪後の展望
近年、日本橋の惨状を改める運動が展開され、これに乗った小泉純一郎首相は、首都高速を架け替えることを論じたが、これにはとてつもないコストがかかる。石原慎太郎都知事は、日本橋の位置をズラすべきだと発言した。 私はむしろ、高度成長期の文化破壊政治の証拠を残したらどうかと思う。象徴のためには、高架道路のさらに上に、パリのグラン・アルシェのような形で、新しい架橋をすることも考えられる。 現在、首都高速道路は老朽化し、そのメンテナンスに相当のコストがかかる。とはいえ、取り壊すわけにもいかない。首都高速は、ハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車などに限定し、一部は自転車など、軽量低公害交通専用にすべきではないか。そうすればメンテナンス・コストも低減されよう。また、あの無骨な橋桁や柱を、情報空間に転換することも考えたい。大勢の人の目に触れる大都市の視覚面積は広告価値が高い。これもメンテナンス・コストの削減につながるだろう。
小池都知事には、日本橋を「江戸と東京に架ける橋」と位置づけ、日本道路網の新しい中心とするアイディア・コンペ(首都高速と周辺地区を含め)の実施を提言したい。 クールジャパンに見るような現在の東京の評価は、江戸期の文化が評価されているのだ。「アンドトーキョー」ではよく分からないが「エドアンドトーキョー」ならよく理解できるではないか。 今、大切なことは、オリンピック以後の東京の展望である。