アメリカと日本の「核密約」をめぐる「ドタバタ劇」…アメリカはどのように日本から「軍事特権」を奪いとったのか?
“日米同盟の御神体”
もっともよく考えてみると、なぜ重要な機密については「次官、局長、担当課長」の3人だけが知っていればいいという伝統が外務省に生まれたかといえば、それは二度の「日米安保」をめぐる密室での交渉が原因であり、なかでも安保改定時に交わされたこの核密約が、直接の原因となった可能性が非常に高いのです。 外務省北米局の金庫に保管され、北米局長が金庫のカギを管理し、次官が新しい総理大臣と外務大臣には必ずその内容を説明するという「密室の儀式」を生んだ極秘文書。 この「密教」にアクセスできる立場にあった北米局と条約局のエリートたちが、その後長らく外務省の権力構造のなかで、次官や駐米大使といった最高ポストを手にしつづけたことは事実です。 けれども「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」ではありませんが、祠の扉を開いてみれば、なかに安置されていたその“日米同盟の御神体”は、かなりお粗末なものだったと言わざるをえないのです。
公文書公開の重要性
ともあれ、ここまでの説明で私たちは、戦後の日米外交の「最大の闇」であるアメリ カとの核密約について、 ○1963年4月の「改ざん文書」〔第一回大平・ライシャワー会談の記録〕 ○1968年1月の「東郷メモ」〔外務省北米局が管理する「密教の経典」〕 という、ふたつの最重要文書の原本を目にすることができました。(*資料はぜひ本書でご覧ください) これはまちがいなく、2009年9月から翌年3月にかけて行われた、民主党政権下における密約調査の非常に大きな成果です。 その結論となった「有識者委員会による調査報告書」は、あとで触れるように非常にお粗末なものでしたが、そうやって不完全でも本物の公文書が公開されていけば、歴史の解明は着実に進んでいくのです。 そしていま、私たちには最後にもうひとつ、どうしても原資料を見なければならない最重要文書が残されています。それはもちろん、外務官僚の書いた報告書ではなく、日米の代表がサインをかわした「密約の原本」そのものです。 けれどもみなさんにはその前に、もうひとつだけ回り道をしていただきます。 このあまりに重要な、「密約のなかの密約」とでもいうべき超極秘文書のもつ意味を正しく知っていただくためには、 「そもそも改定前の旧安保条約とは、いったいどんな取り決めだったのか」 ということを、簡単におさらいしておく必要があるからです。