「最後の◯◯戦士」を“引き受ける”意味 坂口智隆氏「絶対テロップがつく」…恩返しの一文
近鉄、オリックス、ヤクルトで活躍の坂口智隆氏が呼ばれた「最後の近鉄戦士」
ソフトバンク・和田毅投手が引退し、「最後のダイエー戦士」の文字が躍った。“最後の◯◯”と言われることは、長きにわたって活躍してきたことの証で、一時代の終わりを見届けた生き証人としての名誉である。 【写真】「幸せそうでうれしいなぁ」元モデルの美人妻と…オリ内野手の家族ショット では「最後の近鉄戦士」と呼ばれたこの男はどうなのか。坂口智隆。2002年に近鉄バファローズからドラフト1位で指名され入団、2004年に球界再編の煽りを受け、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。2022年東京ヤクルトスワローズで引退するまでの19年間、バッターボックスに立ち続けた。引退セレモニーでは、「最後の近鉄投手」と呼ばれた近藤一樹氏が花束を渡したことで、ヤクルトファンだけでなく往年の近鉄ファンも胸を熱くした。 坂口氏を語る時に必ずついてまわる“最後の”という枕詞だが、本人の心中やいかに。今回球界再編20年という節目の年に、坂口氏に近鉄所属当時の話から聞いた。 2004年、シーズン真っ只中の6月に入ってきた「オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズ球団合併」の報せ。まさに球界を揺るがす出来事の序章だったが、選手たちにはどう広まっていったのか。坂口氏は「もう20年も前のことなので、記憶もおぼろげですが」と切り出した。 「報道よりも先に噂が(耳に)入ってきたのですが、球団経営が危ういどうこうよりも『大阪近鉄バファローズじゃなくなる』という話だった気がします。それが合併なのか、チームの新規参入なのかは定かではなかったです。ただ、『これからどうなるんやろう』と選手同士で言い合っていた期間が長かったのは覚えていますね」 坂口氏がいたファームに情報が降りてくるまではタイムラグがあり「報道で知ることも多かった」とのこと。それでも「12球団制を守りたい」とする選手会の姿勢は、坂口氏にも伝わっていた。 「特に礒部(公一)さん、古田(敦也)さんたち選手会長は、話し合いから帰ってきてそのまま試合をしないといけないし、試合後は自分たちのケアや練習に時間を使いたいだろうに、すぐにまた話し合いに駆けつけていて、すごく大変だっただろうと思います。例えば(古田さんなら)相手バッターを抑えるために配球を考えているのに、試合終了5分後にはその対戦相手と同じ議題で同じ方向を目指して話し合っているんですよ。凄いことです」