「最後の◯◯戦士」を“引き受ける”意味 坂口智隆氏「絶対テロップがつく」…恩返しの一文
「選手会の方たちは僕ら若手の道筋まで話し合ってくれたわけですから、もう感謝しかない」
プロ野球選手は個人事業主としてプレーし、チームで与えられた役割を全うすることが仕事であるにもかかわらず、自分のこと以外で費やす時間が多くなってしまう。その厳しさを、当時の選手会長たちと同じ年齢になったときにつくづく感じたのだと坂口氏は話した。 もうひとつの球団合併の噂、選手会による署名活動、ストライキ敢行、新規参入球団の話など、球界に関する情報が、日々目まぐるしく変わる。新しい報道から噂レベルの報道も自然と耳に入ってくる。だが選手は変わらず毎日グラウンドに立たなければならないし、結果を残さなければならない。バッターボックスに立っている時間はこうした雑音が消えていた。 「不安はもちろん選手みんなあったと思います。僕はまだ入って2年なんで、『今後プロでできるんかな』っていう気持ちや不安が一番強かった。球団が合併したとしても選手の人数が多いので、そこから人数削られていくんだろうなと考えてしまい、気が気ではなかったです。だから“分配ドラフト”という制度を聞いて安心しました。選手会の方たちは僕ら若手の道筋まで話し合ってくれたわけですから、もう感謝しかないですよね」 坂口氏は分配ドラフトの結果オリックスへ入団。当時のことを振り返る。「転校生みたいな気持ちでしたが、早く仲良くなれた気がします。入ったばかりのときには選手同士で『お互い大変やったね』みたいな話をしました。ブルーウェーブからの選手でよくしゃべっていたのは、同級生で高校時代に試合をしたことがあったキャッチャーの長田(勝)。それから嶋村(一輝)さん、肥田(高志)さん、小川(祐介)さんも。あとはフレッシュオールスターで一緒になった選手とか、結構つながりがあったんですよ」。 近鉄の「いてまえ打線」に「猛牛軍団」というイメージや、同じ関西を本拠地としていたチームのせいか、比較されることは多く、移籍後も周囲からは「チームカラーのギャップ」についてよく聞かれたという。 「周りが言うほど、僕はそんなにギャップを感じなかったですよ。もちろん場所が違えば多少の違いはありますが、僕はその場の環境に合わせてやっていけちゃうタイプなんです。それに“人”で見たらそんなに大きく変わることってないじゃないですか。一緒にご飯食べたら同じ野球人なんでね」