「神様は柱である」…日本人なら知っておくべき「柱の文化」という日本独特の考え方
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか? 【写真】「神様は柱である」…日本人なら知っておくべき「柱の文化」という独特な考え 昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。 2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。 ※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
柱の国づくり
こうして「稲・鉄・漢字」の到来は日本社会を一変させました。 古墳時代に向かって豪族たちが君臨する社会を用意し、やがてそのなかから大和朝廷を確立する一族を選択します。天皇家です。天皇家のほうも各地の統治に向かいました。 大和朝廷の統轄によって日本は古代社会をつくりあげます。都をつくり、租庸調などの税のしくみをつくり、律令制を敷き、さまざまな祭祀をとりおこない、仏教も採り入れた。それは一言でいえば「柱の国」づくりでした。 日本中世史の研究者である林屋辰三郎は、1791年の著書『日本の古代文化』(岩波現代文庫)の中で、「日本の古代は柱の文化であり、中世は間の文化であった」という主旨のことを述べています。 「柱の文化」から「間の文化」へ。林屋はそこに日本の歴史文化のコンセプトの基本的な流れと移行を読みとりました。 いったい「柱の文化」とは何のことでしょうか。 古代ギリシア神殿の円柱のようなもの、また古代ローマの列柱のようなものをイメージするかもしれませんが、ここでいう「柱の文化」とは、たんに建物の柱に日本が表象されているというだけのことではありません。 日本人はもっと深いもの、高いものを「柱」にこめた。
「柱そのもの」が神々
わかりやすい例を言いますが、注目してほしいのは日本人が神さまを「御柱」と呼んだり、神さまの数を「柱」で数えたりしてきたということです。 神々が柱であり、柱が神々だったのです。 これはアポロンの神殿とはまったくちがいます。古代ギリシアやローマの神殿にはすばらしい石の列柱が組み立てられていますが、その柱は神々ではない。ゼウスもアポロンも、神殿の奥や前庭に鎮座しています。 ところが日本の神社では、柱そのものが神々でした。伊勢神宮や出雲大社その他の神社では、真柱そのものが神々です。柱がコンセプトとしての神だったのです。 多くのお祭りで巡行する山車や山鉾でも、その中心を柱が担う。各地の正月の行事に登場する「どんど焼き」や「ぼんてんさま」も高い柱になっている。のみならず、かつての日本家屋では(とくに農家では)、必ず大黒柱が中心にありました。 また床の間は中世以降に出現するのですが、そこにも「床柱」が登場しました。 林屋はこうしたことをふまえて、日本の古代は「柱の文化」で成り立っていたと言ったのです。 さらに連載記事<>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛