重病を公表したサッカー選手・細貝萌の勇気…困難を乗り越え、自分の役割をまっとうした男の生き様
サッカーを越えて社会貢献
「2005年にプロサッカー選手をスタートしてから、地元である群馬でスパイクを脱ぐんだという気持ちを持ってサッカーをやってきました。それを達成できることが僕にとっての誇りでもあります」 【写真】「不世出のキャプテン」・長谷部誠はいかにしてサッカー日本代表を強くしたか 10月27日、J2ザスパ群馬のホーム最終戦が終わった後、今季限りでの現役引退を発表した元日本代表、細貝萌の引退セレモニーが行なわれた。 前橋育英高から浦和レッズに加入し、その後ドイツ1部レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコ1部ブルサスポルなど7シーズンにわたって海外で奮闘。その後は柏レイソル、タイでプレーし、21年から地元の群馬に戻ってピッチ内外でチームを支えてきた。世代交代の方針もあってここ2年は出番に恵まれなかったものの、それでもいつ出番が来てもいいように準備を怠ることはなかった。 デュエルに滅法強く、チームの求めに応じて複数のポジションをこなす献身的なユーティリティープレーヤー。20年のキャリアに終止符を打つ38歳のベテランの目には涙がにじんでいた。スピーチで語ったとおり、最後は地元で引退するという望みを叶えることができた。 細貝が社会貢献に熱心なフットボーラーであることはよく知られている。 日本でも難病指定されている慢性血栓塞栓症性肺高血圧症(CTEPH、通称シーテフ)における支援活動に力を入れてきた。シーテフは血栓によって肺と心臓の血液の流れが悪くなってしまう病気。レバークーゼン時代、チームのメインスポンサーが製薬会社だったことで接点が生まれて「啓発大使」となり、患者支援団体などへの寄付やイベントの参加など積極的に関わってきた。 欧州ではサッカー選手が社会貢献活動をすることは一般的。ドイツに渡ったことがその意識を強めたかと言われればそうではなかった。病気で苦しむ人のために何か力になりたいという思いはずっと抱いてきた。 3歳年上になる双子の兄の一人が小学生のころに病気を患ったことで、大好きなサッカーを止めざるを得なかった。それが細貝を動かすきっかけになった。 彼がこう語ってくれたことがある。 「僕がサッカーを始めたのも、双子の兄がきっかけでした。年が離れているから当然、サッカーのレベルも違う。とにかく2人に追いつきたくて、近づきたくて、そんな感じでしたね。でも兄の一人が腎臓移植を必要とする大きな病気になってしまって。今は治って元気に生活していますけど、当時は両親も兄も本当に大変だったと思うし、僕も感じた部分がいろいろとありました。だからプロのサッカー選手になってから、病気のことで何か自分にもできることってないのかなっていうのはずっとありました」 啓発大使の任を終えてからも自分のオフィシャルサイト内で定期的にシーテフのことを綴るなど、プレーする国が変わっても地道な発信を続けた。 「なかなかわかりにくい病気なので、病院を転々としてから“シーテフです”って言われることもあるみたいなんです。だからこそ知ってもらいたい。最初のころと比べると段々と知ってもらっているのかなって思います。 もし僕がサッカー選手じゃなかったら、こういう活動をやっても(病気のことを)知ってもらうまでに時間が掛かるかもしれない。でもサッカー選手であることで少なからずとも影響力みたいなものがあると思うし、僕もこういう活動があるから頑張れているなって思うことがあるんです」