手塚治虫の師匠 漫画家・酒井七馬に迫る講演会
手塚治虫の師匠 漫画家・酒井七馬に迫る講演会 THEPAGE大阪
大阪で活躍した漫画家酒井七馬(しちま)の業績を振り返る文化イベントが大阪府東大阪市の府立中央図書館国際児童文学館で開かれ、「謎のマンガ家・酒井七馬伝」の著者でノンフィクションライターの中野晴行さんが講演した。酒井七馬は人気漫画家手塚治虫の師匠格として知られるものの、いつしか歴史に埋もれかけていた。中野さんは「酒井七馬は日本漫画史を研究するうえで欠かせないタテ糸のような存在」と語った。
新鋭手塚治虫との共著「新宝島」が大ヒット
「レジェンド 酒井七馬と昭和の大阪まんが」と題した講演会は、20日まで開催中の資料展示「関西マンガ界の伝説 酒井七馬とその時代」に関連して開催された。酒井七馬は1905年、大阪市生まれ。戦前戦後を通じて大阪を拠点に、漫画家、漫画雑誌編集者、紙芝居作家、アニメーターなど、漫画に関連する多様なジャンルで活躍した。 戦後間もない47年、酒井七馬と新鋭手塚治虫との共著「新宝島」がヒット。後に手塚治虫は上京して人気漫画家へ駆け上っていくが、酒井七馬は大阪にとどまり、低迷傾向の関西漫画界で活路を切り開こうと模索を続ける。 69年、63歳で死去するまで、関西漫画界の重鎮として若手を鍛え、自らもペンを放さなかった。その後歳月が流れ、「新宝島」を合作した手塚治虫の師匠として知られる以外、いつしか歴史に埋もれがちだったが、中野さんの労作評伝によって、酒井七馬の全体像が浮き彫りになってきた。
公演に先立ち酒井七馬作の紙芝居を実演
中野さんの講演に先立ち、街頭紙芝居の実演が披露された。演者は塩崎おとぎ紙芝居博物館の紙芝居師、近藤博昭さん。紙芝居は「鞍馬小天狗」「宇宙少年」で、いずれも酒井七馬が左久良(さくら)五郎のペンネームで描いた作品だ。 酒井七馬は戦前から草創期のアニメ制作を手掛けた。戦後になって紙芝居にアニメで学んだ映像的な手法を取り入れ、躍動感あふれる画風が子どもたちに人気を博したという。 中野さんは歴史に埋もれかけた人物や事柄に着目し、粘り強い取材と固定観念にとらわれない視点で、再検証の光を当てる。 中野さんは講演で酒井七馬の生涯を辿りながら、多様な業績を紹介していく。酒井七馬は昭和初めの一時期、「大阪新聞」の嘱託漫画記者として働く。漫画記者という役職があったのだ。中野さんは戦前から戦後にかけて、大阪の新聞各紙が漫画掲載に力を注ぎ、漫画文化の醸成に貢献していたと指摘する。