妖艶な雰囲気のアドベンチャーゲーム『岩倉アリア』シナリオ担当午後ねむる氏が「女性をきちんと人間として描きたかった」と語る電ファミ独占インタビューを公開
MAGES.は、6月27日(木)にNintendo Switchにて発売した美しくもどこか不気味なアドベンチャーゲーム『岩倉アリア』の公式セルフインタビューを電ファミニコゲーマーへ独占公開した。回答者は本作の企画・シナリオライターを務める午後ねむる氏。 インタビューでは同氏が本作を企画する際に最も描きたかったこととして「女性をきちんと人間として描きたかった」と挙げており、「16歳の少女は49歳の女性になるし、49歳の女性はかつて16歳の少女だったという当たり前のことを、はっきりと描きたかった。」ともコメント。「基礎の基礎を今こそ丁寧に描く」というコンセプトのもとに制作された作品のようだ。 『岩倉アリア』は、1966年の日本を舞台に描かれるサスペンスアドベンチャーゲーム。旧華族のお屋敷に、養護施設で育った身寄りのない少女・北川壱子が女中として雇われ、そこで美しい少女「岩倉アリア」と出会う。 社会から取り残された少女と社会から切り離された少女が出会うことで運命が動き出し、生活を共にする中で「岩倉家の人々」の秘密に迫っていく。絵画のように美しいこの邂逅の先で、北川壱子は「誰と」どんな人生を歩んでいくのか、選択次第で全く異なる未来がプレイヤーを待ち受ける作品だ。 サスペンスアドベンチャーゲーム『岩倉アリア』の企画・シナリオライター午後ねむる氏へのインタビュー全文は下記に記載されているので、興味のある方はぜひご一読いただきたい。 ・『岩倉アリア』シナリオライターインタビュー インタビュー回答者:「岩倉アリア」企画・シナリオ午後ねむる ※ストーリーやエンディングについての言及がございます。 ──企画のキッカケは? 全プロットシナリオを務めた前作(『B-PROJECT 流星*ファンタジア』)を発売し、時間にも心にもやっと余裕が出てきたのがキッカケです。 もともと企画願望のようなものはなかったのですが、一緒に仕事をする中で信頼を深めてきたディレクターやグラフィッカーのセンス、才能を最大限に活かせる作品を作れたらいいなと思ったんです。ただMAGES.ではシナリオライターが企画したオリジナル作品がこれまでにないと聞き、企画が通る可能性は20%ほどで考えていましたね。 ──企画の内容はどのように決めていったのでしょうか。 走り出しは「自分が作る意味がある」「この世にあって欲しい、あるべき作品」と思えるもの。かつ、一緒に作品を作る仲間も興味を持ってくれるであろう内容。そこで浮んだ数少ないテーマのうちのひとつが、『シスターフッド』『ロマンシス』でした。 予算を抑えるという出発点から世界観を考えた……というとガッカリされてしまうかもしれませんが(笑)、その時点で『屋敷』『令嬢』『女中』『サスペンス』を土台にすることを決めました。と、同時に……『岩倉アリア』という人物が目の前に現れ、そのまま企画タイトルに。作品名『岩倉アリア』は、その瞬間から発売まで一度も変更していません。 ──メインビジュアルを担当されたのは、イラストレーターの100年さんです。どういった経緯で一緒に作品を作ることになったのでしょうか。 小規模とはいえオリジナル新作を作るにあたり、「世界観を表現しながら、見る人に大きなインパクトを与えられる」メインビジュアルが絶対に必要だと考えていました。 毎日毎日SNSに張り付いて、この人だと思うイラストレーターを探し続け、やっと出会えたのが100年さんです。コンタクトをとってから直接会って話をして、そのまま引き受けてくれることになりました。 制作スタイルとしては、我々が考えたものを100年流に再現してもらうのではなく、『岩倉アリア』を通して100年さんの中に生まれるものを最大限引き出すという形。絶対にそれがベストであるという確信があり、そこに到達するためにはどうすればいいか……時間をかけて、互いに可能性を探っていきました。行き詰まった際には、そこから脱するために、4時間ふたりきりで絶えず話してブレストして……ということもありましたね。 結果は、みなさんもご存じの通りです。『誰にも無視できない』、そんな鮮烈で力のあるビジュアルを描きあげてくださいました。100年さんのような素晴らしい才能と情熱を持つアーティストと仕事が出来たことを、心から誇りに思います。 ──音楽はMAGES.作品を長年彩ってきた阿保剛さんです。 はい、『岩倉アリア』は音楽で完成したといっても過言ではありません。私は「メインかエンディングにどうしてもこういう音が欲しい」という要望を出したくらいで、他には何もしていないので語れることがないのですが(笑)。 ディレクターの水野と阿保さんのやりとりの中で、作品の世界観と完璧にマッチしたものが上がってきました。個人的なお気に入りは『PAIN』『アリア』『選択』です。 ──では、物語そのものについて聞かせてください。『岩倉アリア』を作るにあたって影響を受けた作品はありますか? 前提として、私は幼少期から世界中で起きている事件に大きな関心を持って生きてきました。現場の状況、事件の背景、加害者被害者の心理……『岩倉アリア』ではある程度正常性バイアスを前提として、行動描写や心理描写を行っています。また企画前後で興味を持って調べていた、華族スキャンダルの数々からの影響もありますね。 他には、洋楽、K-POP、邦楽の女性アーティストやアイドル。曲の歌詞そのものより、メロディや声、ビジュアルから浮かび上がる情景や感情から多大なインスピレーションを得ています。 そして、発表時からあげてくださっている方もいた映画『お嬢さん』。 先ほど話した通り舞台設定は別の事情で決めたのですが、そうなってやはりすぐに頭をよぎったのは『お嬢さん』でした。その面白さを知っているからこそ、サスペンス展開での差別化は強く意識しましたね。土台がベタではあるので、そこでのかぶりを必要以上に恐れなくていいよう、プロット制作に際して映画を見返すことはしませんでした。 そんな中で何に影響を受けたかというと、パク・チャヌク監督のインタビューです。原作『荊の城』から変更したエンディングについて何度か語られているのを目にしていて、私もこれだけの経験をしたアリアと壱子がどうすれば33年後に心から笑っていられるか、四六時中考えて、屋敷でのあの結末に辿り着きました。 過激でドラマチックな展開よりも、この先背負うものが少なく、屋敷を出た後にいつまでも亡霊に縛られないで済む結末。ここだけはキャラクターの心の動きだけに委ねることはしませんでした。 1960年代の生活を知るために、資料として当時の日本映画も色々と観ましたね。これはただの感想ですが(笑)、『しとやかな獣』がとても面白かったです。 ──舞台は1966年ですね。 はい。気味の悪い言い方をすると(笑)私はアリアの生い立ちを知っていたので、そこから計算すると舞台は1966年だなと。ある程度明確に現代と地続きであることが示せる物語を描きたかったので、ぴったりでしたね。 ──様々な要素が絡み合う本作ですが、『岩倉アリア』で最も描きたかったことはなんですか? エンタメ作品として、より多くの方に話の展開が面白いと感じてもらえるよう努めるのは大前提として……『岩倉アリア』だけでなく、物語を作る中で、私が何より描きたいのは『感情』です。今回は『シスターフッド』をテーマとして、壱子とアリア、壱子とスイ、それぞれの人間性、感情をしっかり描いて、さらにそれらが交わって生まれるものをより丁寧に描こうと決めていました。 ただ、作品が完成して振り返った時に、実はそれが最たるものではなかったことに気づいたんです。私は今回、何よりも女をきちんと人間として描きたかったんだなと思いました。女がフィクションの中や現実世界で与えられる役割でなく、人間として。英雄ではなく、特別な力も持たない。過度に意地悪でも陰険でもない。ただ純粋で天真爛漫なだけでもなく、美しく儚いだけの存在でもない。人間として描きたかった。 16歳の少女は49歳の女性になるし、49歳の女性はかつて16歳の少女だったという当たり前のことを、はっきりと描きたかった。16歳は大人ではなく子どもであり、社会や大人から守られるべき存在であるということも。 こう語ると、なんだか自分達の作っているものは何かと比べて「もっと高尚である」とか、「特別である」と主張しているように感じられてしまうかもしれませんが……実際は殆どその真逆です。基礎の基礎を今こそ丁寧に描くぞ、という……極めて初歩の話で恐縮です。 アリアはわかりやすく役割を与えられたキャラクターですが、ストーリーが進むにつれ、彼女もその役割をおりて人間であることを主張する。ただ嬲られ殺されるために生み出されたキャラクターではないんです。 女の身体はその女のものであり、他の誰かのために存在しません。アリアの身体はアリアのものであり、たとえ強い絆で結ばれようとも、壱子のためだけに存在しない。人間の身体は決して、他人に都合よく存在しません。壱子の身体ももちろんそうです。屋敷を出たあと、ふたりはきっと幾度となく喧嘩しながら、それを理解していく。 それが最も描きたかった部分で、最も必要な部分で、全ての要素の軸になっていたんだなと。その上での『シスターフッド』であるし、『女性同士の恋愛』なのだと、書き終えてからはっきりと意識しました。『岩倉アリア』は『岩倉周』の物語でもありますが、周を主軸に見たとしてもやはり重要になるのは同じ部分ではないかなと思いますね。 ──アナザーを合わせて十種あるエンディング、気に入っているものや特に印象的なものはありますか。 トゥルーエンド、屋敷での最後は、卑怯な人間であれ、利用される立場に甘んじてきた人間であれ、腹を決めて行動した瞬間に誰でも脇役から主役になれるという人間の姿を描きたかった。あのシーンはそれぞれの行動のタイミングが必然的に重なった「めちゃくちゃ」な瞬間であり、みんなが主役の瞬間で、私としてはとても気に入っています。 あとは……そうですね。何よりエンディングで重要だったのは、先ほどお話しした「少女は少女のままではない」ということ。死なない限り、人生は続く。一般的にとても夢のある言葉である「何にでもなれる」とは少し印象が違うかもしれませんが、みんな「何にでもなれる」し「どこへでも行ける」ということを体現した壱子の姿を描いたつもりです。ルートによっては、逃したものに執着し続けても良い結果に繋がることはあまりなさそう……という教訓を教えてくれもしますが(苦笑)。 ──より物語を深掘りする形となるサイドストーリー。考察を深めているプレイヤーの皆さんに、何か伝えたいことはありますか? どれくらいの方がどこまで飽きずに作品を読み解いてくださるのか、現時点ではわかりませんが……エンディングを迎えたあともアリアや壱子たちのことを考えくださっている方がいるのなら、まず感謝の気持ちをお伝えしたいです。『岩倉アリア』を余すことなくプレイしていただき、本当にありがとうございます。 この物語は、これから『本物の世界』に出て行くまでのふたりを描いた“はじまり”の物語です。物語を読み解く内に何か大きな疑念が生まれたとすれば、それは今後必ず壱子も対峙することになるもの。今(1966年)の壱子よりもずっと岩倉家の全体像が見えている皆さんは、さらに考えを深めてその疑念を否定することも出来るし、より強く肯定することも出来ると思います。 もちろん『真相』というものはありますが、いつか何か描ける日が来るのか? 野暮にも感じられるものですから、黙っておいたほうがいいのかなとも思いますが……作品としてみれば、いくつ説があってもよく、そのどれもが間違いではないと言えると思います。ただ……岩倉アリアという“人間”と1999年のふたりは、「運命はそれほど残酷ではない」と教えてくれている気はしますね。 ──『岩倉アリア』がリリースされて2週間が経ちました。最後にプレイヤーの皆さんに向けてメッセージをお願いします。 皆さま、このたびは『岩倉アリア』を手に取りプレイしていただき、誠にありがとうございます。この作品の中に、ひとつでもその心に触れる何かがあったなら、開発チームメンバー一同とても嬉しく思います。 またなんとなく興味を持ってここまで記事を読んでくださった未プレイの方には、この記事が「やっぱり要らない」「ちょっとやってみるか」の新たな判断基準となれば幸いです。 音楽面以外でゲーム業界に名を轟かせているメンバーがいない中で、『岩倉アリア』のような作品を求めている人、必要としている人にどうすれば届くだろうと考え、私に出来ることのひとつ……また単純にALT(代替テキスト)普及に貢献したい気持ちもあり、SNSの雰囲気作りも自ら手がけてまいりました。 物語の、ある種露悪的なサスペンス展開とは裏腹に、透明化されている人々や踏まれている人々の存在に気づき寄り添いたいという想い、そして作品から地続きの現実で苦しんでいる人たちへの祈りが『岩倉アリア』には込められています。 この作品から何かを見つけたいとき、感じたいとき、この想いや祈りが作品の根底にあることを思い出してくださる方がひとりでもいれば本望です。 2024年、日本のドラマ界でも大きな動きが起きている中、同じ年、そして6月にテキストアドベンチャーゲーム『岩倉アリア』をリリース出来たことは奇跡的なことです。制作に関わってくださったすべての方に感謝するとともに、この作品が誰かの生活の中でふとした瞬間に思い出される、そんな作品になることを願っています。 株式会社MAGES.
電ファミニコゲーマー:fab
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