「いすゞ・ジェミニ」誕生から50年 いま振り返るGMのグローバルカー構想
第2弾の「Jカー」も登場したが……
ジェミニがいすゞ車らしく11年近くにわたってつくられた間に、Tカーの兄弟たちはどうなっていたかというと……オペル・カデットは1979年にフルモデルチェンジし、欧州製小型車の主流となっていたエンジン横置きFFハッチバックに転身。ボクスホールも翌1980年にそれに準じた「アストラ」をリリースした。アメリカのシボレー・シェヴェットやポンティアックT1000は1987年まで、ブラジルのシボレー・シェヴェットは1993年まで20年の長命を保った。だが、次世代のTカー計画はなかった。 グローバルカー構想としては、Tカーの後に第2弾の「Jカー」があった。Tカーよりひとクラス上のエンジン横置きFFのセダンで、1981年にまずは本家アメリカで「シボレー・キャバリエ」「ポンティアックJ2000」「キャデラック・シマロン」がデビュー。次いでドイツで3代目「オペル・アスコナ」、イギリスで2代目「ボクスホール・キャバリエ」が登場。翌1982年にはアメリカで「オールズモビル・フィレンザ」「ビュイック・スカイホーク」、オーストラリアで「ホールデン・カミーラ」、1983年には日本で「いすゞ・アスカ」が誕生した。 ただしこのJカーは、プラットフォームこそ共有されたものの、Tカーのように全車共通ボディーではなかった。アメリカの5ブランド、オペル/ボクスホール/ホールデン、そしていすゞでは、フロントおよびリアエンド以外のボディーパネルやウィンドウグラフィックスなども微妙に異なっていたのである。 その後はちょうどライバルのフォードのように、オペルとボクスホールは英独で一元化されたものの、このJカー計画をもってGMのグローバルカー構想は終了した。その理由はといえば、結局のところGMが期待したほどのスケールメリットが得られなかったからではないだろうか。 ジェミニの誕生から半世紀。かつての巨大帝国GMは、販売台数(2023年度実績)こそトヨタとフォルクスワーゲンには抜かれたものの世界3位の座を死守している。だが本国ではポンティアックとオールズモビルの2部門はとうになく、海外子会社もオペルとボクスホールはグループPSAを経てステランティスの傘下となり、ホールデンは自動車製造から撤退。いすゞもGMから離れた。実施するしないは別として、グローバルカー構想など描きようがない状況となってしまっている。 翻って、複数のメーカーでモデルを共同開発するケースは今日でもよくある。しかしGMのグローバル構想、なかでもTカープロジェクトのように、同じボディーを持ちつつ各国ごとにアレンジされたクルマがつくられることは、おそらく二度とないだろう。 (文=沼田 亨/写真=いすゞ自動車、ゼネラルモーターズ、ステランティス、フォード、TNライブラリー/編集=藤沢 勝)
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