アシッド・ジャズを今こそ再検証、ガリアーノが語る再結成とムーブメントの裏側
ポストパンク、ファンク、レゲエからの影響
―ガリアーノみたいに様々な要素が混ざり合っているバンドは、それ以前にはそんなに存在しなかったように思いますが、参照した音楽はありましたか? ロブ:雰囲気的にはスペシャルズとスライ&ザ・ファミリー・ストーンが混ざった感じを目指していたんだと思う。 ヴァレリー:それはさすがに具体的すぎじゃない? 私たちは折衷的なテイストを包括的に網羅していたと思う。私はスペシャルズの大ファンで、当時持っていたレコードを繰り返し何度も聴いた。1979年にリリースされた1stアルバム。メロディも、ソングライティングも、ドラムのサウンドもすべて最高。でも、 ザ・ビートのアルバムも、ブロンディの『Parallel Lines』も、ボブ・マーリーの『Kaya』も大好きだった。スティーヴィー・ワンダーの『Journey Through The Secret Life of Plants』もそう。それにポップ・ラジオもたくさん聴いていたから、ABBAやビートルズなど定番のポップミュージックも大好き。だから参考にしてきた音楽は本当に様々で、色々なスタイルから影響を受けていると思う。それがガリアーノの特徴になった。色々なスタイルを知っていたからこそ、そのスタイルを自分たちの音楽に要素を織り交ぜることができたの。 ロブ:時代的にポストパンク、レゲエシーンが流行っていたというのもあるよね。ジャー・ウォブルやジョン・ライドンが(PILの)『Metal Box』を作った時代だよ。レゲエに対するあのアプローチは……イギリスにおけるレゲエは、当時のポップ・ミュージックだったんだよ。僕たちが若かった頃、70年代後半から80年代前半にかけてレゲエはものすごく流行っていたんだ。 ヴァレリー:イギリス人によって生み出された、ラヴァーズ・ロックというジャンルもあった。イギリスのパンク的な感性とレゲエを融合させ、2つの異なるジャンルが組み合わさったことで特徴的なスタイルになった。 ロブ:デニス・ボーヴェルがプロデュースを手がけた スリッツのアルバム(『Cut』)もあった。僕たちはそういう音楽を聴いて育ったんだ。DJカルチャーがダンスやファンクの方向に進化していったし、アシッドハウスをはじめとするハウスミュージックが爆発的にヒットしたというのもあった。アシッドハウス・シーンの人たちはみんな友人で、僕たちがいたシーンは一気に流行った。それをガリアーノはライブという文脈で表現することにしたんだ。背景や進化の流れを見ていくと本当に興味深い。今でも僕たちは若い世代のバンドにとても関心がある。 ヴァレリー:例えば、SAULTは私たちが80年代や90年代に表現した形を継いでいると思う。(ロブに向かって)そう思わない? 彼らは大勢が集まっているコレクティブで、様々なスタイルから影響を受けている。 ロブ:色々な影響を取り入れて融合させているアーティストたちを見るのは興味深い。スローソン・マローン(Slauson Malone)を知ってるかい? ギターとチェロとAbletonだけでパフォーマンスするんだが、かなり演奏の幅が広くて驚かされるよ。 ヴァレリー:それに、様々なスタイルの音楽を聴いて育つと、自分が実際に歌ったり、演奏したりしている時に「今のはトーキング・ヘッズっぽかったかも」とか「今のはクラッシュみたいだった」と気づく。 ロブ:トーキング・ヘッズにも大きな影響を受けているよ。1980年にローマで行われたコンサートの映像がYouTubeは何度も観たし、『ストップ・メイキング・センス』はポップ・ミュージックの最骨頂だ。 ―僕はアシッド・ジャズというムーブメントを、当事者にとってはその時代のパンクみたいなものだって仮説を立てていたのですが、今の話を聞いて納得しました。 二人:(大きく頷く) ロブ:そうなんだよ。興味深いことに、フリージャズの精神にも通じるものがあった。僕らが若い頃は、暗いクラブで男女が奇妙な音楽を演奏している姿に対して少し恐れを感じていたのかもしれない。今となっては、当時、そのシーンと密接に関わっておくべきだったなと思うんだ。あのシーンからは、とても面白い、自由な音楽が生まれたからね。自分も学べることがたくさんあったと思うし……とにかく時代背景として、僕らはロンドンのパンクやファンクを聴いて育ったキッズだったね。 ヴァレリー:パンクとファンク、あとはレゲエね。 ロブ:そしてアシッド・ジャズが誕生した。ガリアーノというアイデア自体もふわふわしていたというか、流動的だったんじゃないかな。 先日、オノ・ヨーコの展示に行ったんだが、彼女が1950年代に日本を離れた時のことを読んでいて、面白いなと思ったんだ。どの世代の人も、自分の世代が一番実験的なことをやっているという認識があるけれど、彼女の世代も僕らと同じような、実験的なことを色々とやっていたんだよ。その当時にもジョン・ケージなど、パンク的な精神があった。大切なのはその根底にあるアイデアだ。僕らは音楽という素材を使ってアートを作った。他の人は別の素材を用いるかもしれない。その素材はなんでもよくて、大切なのは表現したいアイデアだと思う。 ―ポストパンク系の人たちと実際に交流があったんですか? ロブ:僕らは世代が少し下だったからね。でも、ラジオではジョン・ピールの番組を聴いていた。彼はよくポストパンクやレゲエ、ギャング・オブ・フォーなどの角ばった、エッジのあるサウンドをかけていた。当時からポストパンクとその精神は、世界中に広まっていたんじゃないかな。 ガリアーノの活動をしている当時は、色々なバンドに出会ったよ。僕たちはポール・ウェラーに影響を受けていたんだが、彼とも交流を深めることができた。あの頃は本当にクレイジーだった。ラスト・ポエッツのジャラルと一緒にロンドンでカンフーのレッスンを受けたこともあったし(笑)。ポール・ウェラーはとてもいい人で、彼のスタジオに招待してくれた(※ガリアーノの2nd『A Joyful Noise Unto The Creator』はスタイル・カウンシルのドラマー、ミック・タルボットがプロデュース)。 そういえばレコードの整理をしていて、当時のソノシートが出てきたから、ちょっと見せたいんだよ。ポストパンクはソノシートのリリースが多かったから(笑)。取ってくるよ。日本のアーティストなんだ。(しばらく席を外したあと、ソノシートを見せて)こないだ、これを見つけたんだよ。 ―わ! 突然段ボール! ロブ:手に入れるまで苦労したよ、最高だよね。当時の音楽はどれも重要だ。そして、その背景にある精神が大事なんだ。その精神がそのままDJカルチャーやアシッドハウスなどに受け継がれていった。つまり、自由な精神だ。