「ダンシング・ヒーロー」「六本木心中」の振付師が最も衝撃を受けたアイドルとは?「彼の表現力にはやられました」
“ダサカッコイイ”の概念
少年隊と同じく、バブルの時流に乗った曲、そして三浦さんの振付としてよく知られているのが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(1985年)だ。 英国歌手のカバー曲ではあるものの、何度もリバイバルされたり、昨今では盆踊りバージョンまで作られるなど、もはや日本を代表する歌謡曲といっても過言ではないだろう。 三浦さんが、日本でのダンスミュージックの変遷の歴史を踏まえつつ、振付の制作秘話を語る。 「俺がディスコに通い出した50年ほど前は、海外帰りの人が集まる新宿二丁目や、在日米軍基地のある福生あたりが、最新の洋楽やダンスのステップを知ることができる場所だった。 芸能プロダクションの社長から、よくわからないお金持ち、ただ単に踊ることが好きなヤツまで、いろんな人が集まっていた。つまり、俺は毎晩、いろんな人たちと遊んでいたんだよ(笑)」 この曲の振付担当に決まったのも、「遊んでいたから」だという。荻野目が所属するライジングプロダクション社長・平哲夫氏からの直接の指名だった。 「平ちゃんによると、俺が“振付師の中で一番遊んでいる”からだと。“はいそうです”って感じだった(笑)。 たしかにユーロビートである『ダンシング・ヒーロー』の原曲を初めて聴いたとき、この曲調は日本人に受けそうだな、とも思いました。 当時はソウルミュージックが洋楽の主流で、ユーロビートはまだ一般的ではなかった。そういうところはやはり、遊んでないとわからなかっただろうね」 振付は「楽しい夜にワクワクする気持ち」を意識したという。 三浦さんの予想通り、「ダンシング・ヒーロー」は息の長いヒット曲となり、その後ユーロビートは大箱のディスコの定番メロディとなった。 三浦さんは、平氏のセンスには今でも絶対の信頼を置いていると話す。 「“ダサカッコイイ”という概念は、平ちゃんが作ったんじゃないかな。もともとカッコいい人間が、あえてダサいことをしてみせるからよけいカッコいい。 それで最近大成功したのが、DA PUMPの『U.S.A.』でしょう。平ちゃんがどこまで関わったかは知らないけれど、確実に『ダンシング・ヒーロー』の魂は継いでいるよね」 そんな『U.S.A.』の振付を担当したDA PUMPのKENZO(39)とは、振付談義をする仲だという。 「彼はダンスのテクニックも、振付の才能もすごいし、勉強熱心。過去の映像をたくさん見たりしていて、昭和のタレントたちに対してもとてもリスペクトしているんだよね。 KENZOだけでなく、今の若い人たちはとても真面目。 “これから一緒に飲みませんか?”なんて夜中に俺を呼び出す昔のアイドルたちに比べたら段違いだよね(笑)。 そもそも今の人たちのダンステクニックは、昭和のアイドルとはレベルが違う。K-POPのアーティストなんか、個々が振付師のレベルだし、完成度が高すぎる。 でも俺は思うんですよ。ダンスはすごいけど、歌の世界の表現力は、ちょっとないがしろになってきているんじゃないかな、って。 それって、ネットの世界とかが主流になってきて、人と直接関わらなくなってきたからじゃないの、って。 俺の言う“遊ぶ”って、とどのつまり人と直接交流すること。 そうすることで公私ともに新しい発見があるし、コミュニケーションのために表現力が身につく。だから俺は今でも遊んでるし、これからも遊びたいんだよ」 三浦さんは最後にこう話した。 「昭和って、手に入れられないものが多くて自分で工夫をするしかなかったけど、だからこそ、表現力が豊かになれた時代だったのかもしれないね」 レジェンドが語る昭和の思い出は、ミラーボールのように輝いている――。 三浦亨(みうら・とおる)●1946年、宮城県生まれ。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒。’70年代から多数の歌手の振付や、『レッツゴーヤング』(NHK)、『夕やけニャンニャン』『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)といった音楽番組やバラエティ番組のダンス指導を手掛ける。「カーニバル三浦」名義でも活動。近年では「YOSAKOIソーラン祭り」や故郷・石巻市の町おこしイベントにも関わっている。 取材・文/木原みぎわ
集英社オンライン