秋葉原がもはや「オタクの聖地」ですらなくなった根本理由
とらのあな閉店の背景
余談だが、この変化の渦中にあった2012(平成24)年2月に、建て替えが話題になっていた秋葉原ラジオ会館の名前を冠したニュースサイトが開設されている。 そのビジネスモデルは、秋葉原の事情に通じていると自認する人たちに記者証を発行し、無料で記事を書かせるというものだった。秋葉原のランドマークとして注目を集めているラジオ会館の名の付く媒体ならば、 「タダでも書きたいというオタクはいくらでも集まるだろう」 という見通しで成立していたビジネスモデルである。こんなむちゃなビジネスモデルが成り立つくらいに、秋葉原はオタクの街として隆盛したのである。 秋葉原を訪れる人々をターゲットにした、店舗からの広告収入に依拠したフリーペーパーも幾つも創刊されては消えていた。熱気の中で秋葉原を舞台にした新手のビジネスが次々と生まれていたが、大抵は長くは続かなかった。2013年には大手ドラッグストアチェーンの「ダイコクドラッグ」がステージ付きメイドカフェを併設した店舗をオープンし、大きな話題となったが、わずか数年で閉店している。 振り返れば、こうした大小の資本が入り乱れる隆盛こそが、衰退の始まりであったといえる。衰退を如実に示したのが、2022年7月、アニメや漫画のグッズを取り扱う大型専門店「とらのあな」の秋葉原店が、20年間の歴史に幕を下ろしたことだ。 オタクの聖地と呼ばれる秋葉原において、同店は常に先駆的な存在だった。2001年の開店当初から同人誌の品ぞろえに力を入れ、オタク文化の発信地としての秋葉原の地位を確立する上で大きな役割を果たしてきた。 ところが、同社は池袋店だけを残し、秋葉原店を含む店舗の閉店を決断したのだ。その原因は、コロナ禍の影響により店舗収入が減少し、賃料や光熱費の負担が増したことだとされている。 さらに、コロナ禍も影響し、収益の上位が通販事業と自社で運営するクリエイター支援サイト「ファンティア」が占める状態になっていたことも、この決断の理由だったようだ。 同社は秋葉原では、2013年以降、秋葉原店A~Cの3店舗を運営していた。しかし、2021年にテナント契約期間満了でB店を、ビル建て替えによる契約期間満了でC店を、それぞれ閉店。A店のみが営業を継続していた。ここからは、オタクの聖地となったことで、秋葉原で建て替えや再開発の事業も活発になったこと。それにともなう賃料の高騰によって、店舗が割に合わないものになっていたことがうかがえる。 秋葉原で成長し、代表的な店舗となっていた「とらのあな」ですら、秋葉原の存在する必然性がなくなったのである。