秋葉原がもはや「オタクの聖地」ですらなくなった根本理由
1999年「サブカル投機フィーバー」
時系列で新聞・雑誌記事を追ってみると、オタク文化の興隆と、それにともなう秋葉原の変化の過程が浮かび上がってくる。『産経新聞』は1996(平成8)年6月の記事で秋葉原を「突っ走るオタク・ビジネス」と形容し、こう報じている。 「なにしろ日本のゲーム機は、世界で9割のシェアを誇っている。それを育てたのは「オタク」だ。閉鎖的な世界にこもるマニアックな人たちをオタクと呼ぶようになったのは80年代後半から。半ば軽べつのまなざしで見てきたわけだが、そんなオタクのたまり場がゲームセンターだった。通称「ゲーセン」は暗く、汚く、怖いという「3K」イメージが強かったが、今や明るいミニテーマパーク。オタクの世界が女子高生たちも巻き込んだのだ」(『産経新聞』1996年6月1日付) エヴァのブームを経て、かつては「軽べつ」の対象でしかなかったオタク文化が、いよいよ市民権を得たことが読み取れる。それから3年後の1999年。『アエラ』は、秋葉原のオタクビジネスの最前線を「サブカル投機フィーバー」という見出しで取り上げている。 「4月にソフト制作会社「ジェリーフィッシュ」を設立した田辺健彦社長(33)もその一人。東京・秋葉原のマンションの一室にある事務所で、パソコン2台にゲーム機4台、食いかけのコンビニ弁当を前に、田辺社長は「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と、一獲千金を狙う。そして「ネクラの象徴だったオタクは、一種のエキスパートを指す呼称に変わった」と自信を示す。街にはオタク・ビジネスが氾濫(はんらん)、オタクが景気を引っ張る。かつてなかった現象である」(『アエラ』1999年2月8日号) オタクが「エキスパート」を指す言葉へと変わり、「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と豪語するソフト制作会社社長の登場。記事からは、オタクビジネスが秋葉原の新たなけん引役となった様子がうかがえる。
「アキバ系ユーザー」の激変
2002(平成14)年になると『週刊エコノミスト』が「秋葉原、変貌!「アキバ系ユーザー」って知ってるかい?」と題した特集のなかで、こう記している。 「「アキバ系ユーザー」--この言葉を聞いて、どんなユーザーを連想するだろうか。パソコンオタク? それともパーツを探し求めるマニア? あるいは、家族連れで家電を買いにくる人たち?答えは、どれも間違い。いまや、アキバ系ユーザーとは、美少女アニメソフトなどを購入する「美少女アニメオタク」や、フィギュア(人形)を購入するマニア層のことを指している。「秋葉原で商売をやっている限り、もはや美少女アニメソフトを無視するわけにはいかなくなった」 秋葉原の中央通り沿いに店を構えるある大手パソコンショップの店長は、こう話す。美少女アニメソフトとは、少女を題材にしたアニメによるパソコン用ゲームソフト。一般のゲームソフトに比べて、ややお色気を含んだゲーム内容になっているのが特色だ。実は、この言葉の裏に、世界に名だたる「アキバ」が、いま、大きな転換期を迎えていることが示唆されている。秋葉原といえば、「電気街」というのが代名詞。だが、秋葉原で働く電気店関係者の口からは、「アキバが家電の街とか、パソコンの街とは言い切れない場所になってきている」という声が異口同音に聞かれるのだ。」(『エコノミスト』2002年3月26日号) ここからは、秋葉原のイメージの変化が端的にわかる。まだ、オタク文化が現在ほど大衆化していなかった中で、アニメやゲーム、フィギュアなどを扱う店舗がビルの1フロア丸ごとを占拠する。それだけでビジネスとして成立している様子がみられるようになったことは、まさに劇的な変貌であった。同年、東京新聞も「TOKYO発 秋葉原 オタク電気街」という記事のなかで、こう記している。 「アニメのゲームソフトやフィギュア(人形型キャラクター)、人気キャラクターを主人公にした漫画同人誌などを扱うマニア向けの店が急増」「フリルの付いたメード服や人気アニメゲームの美少女キャラクター…。電気街の外れにあるコスプレ(コスチュームプレー)喫茶「カフェ メイリッシュ」(千代田区外神田)に入ると、そんな仮装をしたウエートレスが迎えてくれる。開店は昨夏。月に5000人が来店する盛況ぶりで、入店待ちの行列ができる日も多い。」と報じている。(『東京新聞』2003年3月11日付朝刊) この頃には、もはや秋葉原のオタク街化は決定的となり広く認知されていたことがうかがえる。かつ、多くのメディアは、その盛況ぶりは驚きをもって興味深く捉えていた。