引退から丸12年…元賞金女王・古閑美保がジュニア育成に意欲も「コーチにはなりたくない」理由
師匠・清元登子にならい“弟子を取る”スタイルを志向
2008年賞金女王の古閑美保が、将来、師匠・清元登子(きよもと・たかこ=故人)の後継者となる気持ちがあることを明かしました。 【写真】すげえメンバー…これが渋野日向子&古閑美保&有村智恵&笠りつ子ら集結の“大忘年会”の模様です
左手首の故障もあって、2011年いっぱいで現役を引退。現在は、テレビ番組出演や講演、トークショーなど、さまざまな形で仕事をしている古閑ですが、ジュニアゴルファーを育てることへの意欲は持ち続けています。 指導者のあるべき姿として頭にあるのが、プロ入りの頃から師事していた清元です。 「『休むのも遊びも(現役生活が)終わったらいくらでもできる。身体を壊すならそれが(選手としての)寿命。痛いっていっても練習できないわけじゃないんだから』といわれていました」と、苦笑交じりに振り返る教えは、厳しいものでした。 古閑が弟子入りした当時、6年連続賞金女王(00~05年)の最初の一歩を踏み出したばかりの不動裕理、06年に女王となる大山志保の2人の姉弟子が清元門下にはいました。ひたすら練習するのが当然という環境が結果につながることを、プロ生活の最初から目の当たりにしたのです。 熊本県出身の大先輩でもある清元の元でプロテストに合格した古閑は、03年ヨネックスレディスで初優勝。08年には賞金女王となってツアーの頂点に立ち、通算12勝を挙げています。 ツアーを主管する日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の会長も務めた経験もある清元は、今から半世紀以上前の1973年、日本で初めてアマチュアとしてプロの試合「トヨトミレディス」に優勝しています。 翌74年にプロとなったのですが、その後アマチュアが優勝することは長い間ありませんでした。史上2人目のアマチュア優勝が、03年の宮里藍(ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン)ですから、清元の記録は30年間も破られることがなかったのです。時代もまったく違い、ジュニアゴルファーなどほとんどいなかった頃のこと。清元がゴルフを始めたのは24歳の時で、トヨトミレディスに優勝したのも34歳の時でした。 日本の女子プロゴルフ界の黎明期、アマチュア出身のプロはほとんどいなかったため異色の存在だった清元は、3人の賞金女王を育てる指導者となりました。その一人が“末っ子”の古閑というわけです。 現在の女子ツアーで活躍する選手たちの多くは、プロコーチのサポートを受けています。ただ、古閑は「私はコーチにはなりたくない」と口にしており、育成に携わるなら、清元スタイルの“弟子を取る”ことをイメージしているようです。