三島由紀夫の再来と言われた平野啓一郎さん、デビュー作の刺激となったのは森鷗外だった
『森鷗外全集』全14冊セット(ちくま文庫 1巻以外は品切れ) 1万8934円
京都大4年の1997年夏だった。文芸誌「三田文学」が「いま、我われはこのような新人を待つ」と題し、文芸誌編集長の寄稿特集を組んだ。当時の「新潮」編集長の言葉が、小説家を志す平野さんの心を打った。
〈文学は新人の仕事にあらず〉。へそ曲がりなタイトルが付された寄稿は、書き続けることの重みと困難を説いていた。「自分が変な小説を書いてることは自覚していた。それでも、自分の世界を理解してもらえるかもしれないという気がした」
手元には、15世紀末の南仏を舞台に、学僧の超越的な体験を重厚な文体で描いた難解な一編があった。「編集長の心さえ動かせないんであれば、小説家になれない」。新潮社に「(小説を)読むなと言われても、読みたくなるような手紙」を宛てた。
意外にも返事はすぐにあった。送ってみてください――。デビュー作「日蝕」は、「新潮」98年8月号に〈三島由紀夫の再来〉の強烈な惹(じゃっ)句(く)とともに掲載された。無名の新人の持ち込み作品が巻頭を飾るのは異例だった。
文体の礎は森鷗外という。96年刊行の『森鷗外全集』を通読し、『渋江抽(ちゅう)斎(さい)』『伊沢蘭軒(らんけん)』といった史伝に感化された。
「和文脈、漢文脈、ヨーロッパの言語に通じている作家は、鴎外の前にも後にもいない。それが非常に洗練された現代日本語になっていて、繊細な心理も、歴史の記述も、哲学的な思考も、扱える問題に限界がない。格調高くて、構造的美観がある」
『日蝕』は99年に芥川賞を受けた。漢語を多用した表現を巡り、漢和辞典を引きながら読む選考委員もいた。〈衒学(げんがく)趣味〉などと賛否が渦巻いたが、ペストが広がり、価値観の分岐に立つ中世末期を描いた作品には、確かな現代性が含まれていた。
「大学に入るなり阪神大震災とオウム事件があって、世紀末的な感じがしたんですよ。大きな価値観が崩れ、次の時代の展望はまだ見えない。90年代の閉塞(へいそく)感と末世的な雰囲気がなければ、決して生まれなかった。時代の産物って感じがします」
『日蝕』に続いて『一月物語』『葬送』を上(じょう)梓(し)し、後に「ロマン主義三部作」と位置づける。構想のヒントは『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』。鴎外の「ドイツ三部作」だった。(真崎隆文)