久保田早紀から久米小百合へ 大ヒット曲「異邦人」と歩んだ38年といま
「教会という場所が、音楽だけじゃなく私の人生のルーツなのかな」
デビューして約2年後、81年にはプロテスタントの教会で洗礼を受けてクリスチャンになっていた。 「当時はキリスト教に強い関心があったわけではないのですが、子どものころ日曜学校に通っていたので、賛美歌が好きだというのがずっと自分の中にあったんです。村井邦彦さんの作曲で、ザ・タイガースの『廃墟の鳩』や赤い鳥の『翼をください』といった曲が子どもながらに好きで。どこか、賛美歌に通じるようなものがあるんですよね。もしかしたら、教会という場所が、音楽だけじゃなく私の人生のルーツなのかなって。いつかは久保田早紀”商店”を閉じたほうが自分らしくやれるかなって思うようになりました」 洗礼を受けた80年代初頭は、プロテスタントでは著名な福音派の伝道師ビリー・グラハムが来日して国際大会を開催、カトリックでは史上初めてローマ教皇が来日と、キリスト教が何かと話題に上る機会が多い時期でもあった。ただ、久米自身はそういう外的な要因に影響を受けたわけではなく、あくまで自身の音楽的ルーツや人生について思いをめぐらすなかで、クリスチャンになることを決めたという。 「通うようになった教会は、アメリカ人の男性宣教師がお二人で少しずつ宣教してきた教会で、日本のテレビ番組なんか見ないから、私のことも知らない。それがありがたかったですね。たまに信徒の方から『あの人、久保田早紀に似てるよね?』ってささやかれるぐらいで、教会の中なら誰でも同じだと扱われたことがいま思うとありがたかったです」
現在はミュージック・ミッショナリーとして音楽活動に携わる
商業的な芸能活動にピリオドを打ち、1985年、音楽家の久米大作氏と結婚。やがてミュージック・ミッショナリーとして音楽活動を行うようになった。神学校にも通い、キリスト教についても学びを深めた。 現在は、プロテスタント諸派やカトリックなどキリスト教の教会に招かれる形でコンサートを開いたり、講演を行う日々を過ごしている。また、時折、テレビやラジオ番組のゲスト出演やインターネット番組への出演などもしている。自分のペースで、地に足の着いた活動ができているようだ。 「教会でコンサートをすると、信者だけじゃなく、往年の久保田早紀ファンの方もこられます。各地の教会のお役に立てるとしたら、そういうところかなって思うんです。日本の教会って、実際はそうじゃないのに、クリスチャンじゃないと行っちゃいけないんじゃないかとか、ハードルが高いイメージがありますよね。神社やお寺はオープンで、子どもが境内で遊んだりしますよね。私は教会も神社みたいになるべきだと思っているんです。つらいことがあるから祈ってよ、って牧師さんや神父さんのところに行けるような気楽なものじゃなくちゃいけないって」