久保田早紀から久米小百合へ 大ヒット曲「異邦人」と歩んだ38年といま
無名の新人が1曲めから大ヒット 居心地の悪さを感じた芸能界
しかしその後は「異邦人」ほどのインパクトを残さないまま、1984年11月のコンサートを最後に芸能界を引退。わずか5年ほどで商業音楽活動を中止した。 「いつかはあこがれていたユーミンさんのようになれたらいいなと思った時期もあったのですが、私にとって芸能界はどこか居心地が悪かったんです」 最初からタイアップが付いたデビュー曲で華々しくブレーク、どこからどう見ても文句なしの状況だと思えるが、なぜ居心地が悪かったのか。 「最初はレコード会社も、文化祭ぐらいでしか歌ったことのないこんな無名の子が売れるわけがないじゃないって思っていたはずです。当時ソニーにはアイドルさんもいたし、矢沢永吉さん、岸田智史(現=岸田敏志)さん、ジュディ・オングさん……大ヒットされた歌手がいっぱいいました。それがああいう形で『異邦人』がヒットして、ずっと見上げてきた方々が隣の楽屋にいるという状況に置かれて……。その違和感を埋めてくれるものがなかったんです」 スケジュール帳とにらめっこしてハードな日々をこなす中、ただ居心地の悪さだけが増していった。 「キャリアも実力もろくにないのに、『異邦人』が1位になったりアルバムが売れたというだけでヒット歌手って見てもらえる。何か自分の人生が変に嵩上げされているような思いを強く感じていました。すごく才能のある新人のように思われていることが申し訳ないというか。この居心地の悪い感じを、何か辻褄を合わせたい、っていう思いがずっとあったんですね。私は、いったいどこに帰ったらいいんだろうって」 芸能界では、ある意味、”異邦人”だったのかもしれない。 「スターでいることって、『私はスターよ』『売れてるのよ』って、芸能界にいることを楽しめないとだめだと思うんですね。でも、なかなかそういう思いになれなくって。有名な方々と飲みに行ったり遊ぶよりも、国立や実家のあたりで昔の友人とコーヒーを飲んでいるほうが楽しい、小市民的な人間なんです。だから、向かなかったというより、最初からなんとなく居心地があんまり良くなかったんです。テレビは見るもので、出るもんじゃないって」