「放射」の権力と「包容」の権力──現代社会制度形成の原点・第一生命ビル
歴史のスポットライトを浴びた建物があります。GHQ(連合国軍総司令部)本部が使用した皇居外苑を囲む日比谷濠に面した第一生命ビルはまさにそのひとつでしょう。 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが第一生命ビルの建築様式から、絶対的な権力に選ばれたその意味を紐解きます。 ----------
未曾有の権力集中
日本史の中で、ひとりの人間とその配下に、これほど権力が集中した時期はない。 ダグラス・マッカーサーとGHQ(ジェネラル・ヘッドクオーター)である。 未曾有の敗戦による無条件降伏後の占領下であったから、日本人は誰も口を挟めない。財閥解体、農地解放、公職追放、さらに国の交戦権を永遠に放棄させ、天皇制の存続でさえその掌中にあった。日本語をローマ字表記にする計画もあったという。 しかしソビエト、中国、北朝鮮と浸潤する共産主義に対して、日本列島を最後の防波堤とする方針を取ってからは、事実上の軍隊を保有させ、極東における米軍の展開に最大限有利となるよう、政策を一転させた。 今回取り上げるのは、その圧倒的な権力の本拠地となった建築、日比谷の第一生命ビルである。いわば現代日本の社会制度を形成した原点だ。 少し前に高層部分が増築されたが、この建物の歴史的重要性を考慮し、GHQに使用された部分が保存されたのは、幸いなことであった。 内堀を前にして、皇居を睨むように建っている。
列柱の意味
この建築のデザインを、一般の人はどう受け止めるであろう。 モダンと考えるのではないか。 しかしその建設時期と設計者を考慮すると、少々話が違ってくる。 1933年に設計が着手され、1938年に竣工している。コンペで選ばれた設計者は、前にこの欄で取り上げた帝室博物館を設計した渡辺仁である。 つまり帝冠様式の時代であり、帝室博物館と相前後して、同じ設計者によって設計されているのだ。一般に建築家は、その時代のメジャーな様式の中で自分の様式を確立しようとするものだが、この建築家は、洋風建築も、帝冠様式も、モダニズムも、器用にこなした。その点では、右に出るものがいなかったといっていい。まさに、時代が生んだ建築家である。 第一生命ビルは、装飾がないというという点では、たしかにモダンの範疇であろう。しかし建築史、特に西洋建築史における「列柱」の意味を知る者にとっては、そう簡単には片づかない、ある種の連想を呼ぶのである。 まず頭に浮かぶのは、古代ギリシャ神殿の、イオニア式、ドリス式、コリント式といった柱頭を有する「グリーク・カラム」と呼ばれる列柱様式である。実際、第一生命ビルの設計に当たっては、ギリシャ風の柱頭案も検討されたという。 この列柱様式は、古代ローマにも受け継がれ、西ヨーロッパには、15、6世紀のルネサンス期にも、17、8世紀の古典主義期にも復活流行し、西洋建築史のほぼ全期間において主役でありつづけた。当然それは、古代ギリシャの主知主義と、古代ローマの帝国主義の象徴で、たとえば、イギリスの大英博物館(1759)は、世界の海を制覇し、あらゆる地域からの美術品を収奪した大英帝国の権力の象徴であると同時に、その博物学的な知の象徴でもあった。