イギリスが世界の覇権を握れた理由「手数料」とあと1つは何?
● インターネットより大きい? 電信が与えたインパクト 初期の電信が伝えられる情報の量は非常にかぎられていたが、送られる情報の量は増えていき、電信なしでは事業活動を遂行することが不可能になっていった。 電信の敷設には、巨額の費用がかかった。1人の商人はもちろん、1つの会社でさえ到底調達できないほどの金額であった。さらに、海底ケーブルさえも敷設された。それを賄えるほどの機関は、国家しかなかった。情報の伝達に、国家が大きく関与することになったのである。また海底ケーブルの敷設には、帆船ではなく蒸気船が必要とされた。海底ケーブルの敷設と蒸気船の発展が同時に発生したのは、それが理由の1つであった。 さらに、電信を利用して決済がなされた。電信の登場以前であれば、手形が振り出された都市から、それが引き受けられる都市へは何日、何十日、場合によっては100日以上の日数がかかった。だが電信は、それを一挙に縮めたのである。世界は、大きく縮まったのだ。 1870年になると、世界のあちこちとの通信が、おおむね2~4日間でおこなえた。その電信の多くを敷設していたのはイギリスであった。イギリスは、情報、国際的な金融決済の中心となった。いわば、世界経済のシステムそのものを管理するようになった。19世紀イギリスのヘゲモニーは、この点を無視して語ることはできない。 19世紀の電信がもったインパクトは、こんにちのインターネットよりも大きかったかもしれない。たしかにインターネットによって、情報の伝達スピードは飛躍的に増加した。けれども、人間の移動よりも情報の移動の方が速くなるという電信の方が、世界に与えた衝撃は大きかったのではないだろうか。決定的な相違点は、電信により貿易決済がおこなわれたのに対し、インターネットではそれが不可能な点にある。この差異は、じつは非常に大きい。
世界の情報通信と貿易決済において、それ以前と決定的な違いをもたらしたのは、電信だったのである。 ● 電信という「見えざる武器」で イギリスは金融の支配者に 電信は、ダニエル・ヘッドリクによって、「見えざる武器」と呼ばれた。電信により、世界各地がたちまちのうちに結びつけられた。そしてイギリスは、圧倒的な情報の優位者となり、それを利用して金融上の支配者となった。 イギリスは、広大な帝国を築いた。そこには、多数の異文化間交易圏が含まれた。それ以前なら、弱い紐帯しかなかったそれらの交易圏が、蒸気船・蒸気機関車・電信によって統合されることになった。イギリスにより、世界は大きく縮まったのだ。もちろんイギリスに強固に結びつけられた地域もあれば、電信の影響が弱く、さほどではなかった地域もあったろう。ともあれ電信によって、異文化間交易が非常に簡単になり、商業取引のコストが大きく下がったことは間違いない。 電信は、それまでヒトがつないでいた世界をインビジブルなもので結んだ。だからこそ余計に世界は強く結ばれたのである。それは現在のわれわれが、インターネットによって結びつけられているのと、よく似ているのである。 イギリスは大艦隊をもっていたが、軍事的負担の多く、少なくとも一部は、植民地に負担させることができた。イギリスの植民地だけではなく、欧米列強の植民地が、イギリス船を使用した。また、イギリスの電信は世界中で使われた。そのため世界経済が成長し、貿易量が増えれば増えるほど、イギリスに手数料収入が流入することになった。イギリスは、まさにコミッション・キャピタリズムの国だったのである。 イギリスのヘゲモニーは、工業生産というより、むしろ電信のためであった。
玉木俊明