少年たちを襲い、東京中を恐怖させた迷惑集団「白袴隊」とは? 明治期の“性加害”事件
明治期、東京では少年をねらう性加害事件が頻発していた。その中でも世間を震え上がらせたのが、白い袴(はかま)をまとった男の集団・「白袴隊(びゃっこたい)」である。彼らの犯罪行為と、白袴隊が壊滅にいたる経緯について見ていこう。 ■少年を強姦する不良集団・白袴隊 明治末期の巷を賑わせたニュースの中には、つねに不良集団による犯罪行為がありました。明治30年頃の東京で、とくに異彩を放っていたのが「白袴隊(びゃっこたい)」による少年強姦事件です。白袴隊の犯罪の多くは性加害で、白い袴をまとった若い男たちが、少年を集団で襲って手籠(てご)めにする事件が相次いだのです。 もともとは薩摩琵琶(さつまびわ)をたしなむ音楽サークルだったようですが、白袴隊とあだ名されるころには、明治期以前の薩摩文化の一つとされた「衆道(=男性同性愛)」をたしなむためのセックスサークルへと堕落していました。 明治32年(1899年)、麹町区山元町(現在の千代田区麹町)での事件は、新聞でも大きく報じられました。帰宅中の少年が白い袴の青年2人から、男色の誘いを受けたのですが、少年は誘いをそっけなくはねつけたので青年2人が逆上。 路地裏に少年を連れ込み、強姦しようとしていたところ、少年の友達二人が大声で騒いで助けを求めたので、行為は未遂に終わったのだとか。こうした男性間における性加害事件は、明治20年代から東京中で頻発していたようです。 ■東京中が恐怖した、白袴隊による強姦 作曲家・山田耕筰(やまだこうさく)も、白袴隊がいかに、男の子がいる家庭や、学校関係者から恐れられていたかを記しています。 10歳の時に父を亡くした山田は、亡父の遺言に従い、「巣鴨宮下(現在の南大塚)」で「自営館」というキリスト教系の施設で暮らすようになりましたが、当時、「白袴隊という不良青年団が跋扈(ばっこ)」しており、「現に自営館の少年が一人、その団員に酷い目に会わされ、それがもとでとうとう死んで終(しま)った」という悲惨な事件がありました(山田耕筰『自伝 若き日の狂詩曲』)。 山田は彼の帰館時間がかなり遅れたせいで、自営館がすごいことになったと回想しています。施設側が、山田が白袴隊の犠牲にあったと想定して人を集め、「捜査隊を繰り出す手筈」を整えていたところに帰ってしまったのだとか。山田はその日の昼間、「何をしていたか覚えていない(要約)」とノンキなことを書いていますが、自営館側は気が気ではなかった様子です。 明治期以降、日本社会における男性同性愛のイメージの悪化の一端を担ったのが、白袴隊という性加害者たちの集団であったことは間違いありません。 しかし、そんな迷惑集団・白袴隊が壊滅したのは、意外な理由からでした。