「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ
興味をかきたてられ裁判を傍聴したのが転機に
――生活の中心になっている袴田事件と関わりはじめたきっかけは? なかがわ:昨年、大学卒業後の夏に就職しないでダラダラした生活を送っていて、ふと、興味のあった裁判の傍聴に行ってみようと思ったんです。その公判が、袴田事件でした。当初は、冤罪事件であることしか知らず、せっかく傍聴へ行くならと思い、事前に深く知るために文献などを読んだんです。 何事ものめり込むと、手当たり次第に調べなければ気が済まない性格で、図書館にあった袴田事件に関する文献や事件当時の新聞、ネット上にある情報もひと通りチェックしてから、裁判所へと向かいました。地元の静岡県清水市で起きた事件だったのもあり、使命感に駆られていました。 ――人生で初めて見た法廷は、どのように映りましたか? なかがわ:世間的にも注目されている事件でしたし、警備体制が厳重だったのは強く記憶に残っています。ドラマのように、検察官と弁護士がたがいの主張を激しく言い合うわけではなく、書面を粛々と読み合って公判が進行していくのは意外で、ギャップも感じました。 ――もともと、事件や裁判には興味があったんですか? なかがわ:野次馬的な気持ちがあるのか、袴田事件に限らず、過去に起きた事件のルポルタージュやWikipediaを読むのが好きだったんです。なかでも、清水潔さんの『桶川ストーカー殺人事件―遺言―』は忘れられない一冊で、ジャーナリストとしての姿勢を尊敬しています。
読むこと、書くことがずっと好きだった
――自身のブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」では「フリーライター」とも、名乗っていました。 なかがわ:ちょこちょこ、お仕事をいただけるようにはなりました。でも、フリーライターの実績としては、胸を張って言えるものがまだないんです。いつか、大きなお仕事にもたずさわってみたいです。 ――何かを書いて伝えるのは、昔から好きだったんですか? なかがわ:そもそも、本が好きだったんです。高校時代は新聞部に入って、好き勝手な記事を書いていましたね。学校の新聞なんて「誰も見ていない」と思って、生徒会長へのインタビューのような王道の企画ではなく、授業中に内職をしている生徒に「内職の極意」を聞いたり、今思えば、とがった記事を作っていました(笑)。大学は文学部へと進み、小説サークルで趣味として作品を書いて、文章を書くのはずっと好きでした。