北丸雄二さん、エイズ問題を振り返る「米国では市民運動を作った。でも日本では...」
エイズは、社会をどう変えてきたのか。25年間、米ニューヨーク(NY)に住み、自らもゲイ男性として、身近に日米のエイズの運動を見てきたジャーナリストの北丸雄二さんに語ってもらった。(聞き手・宮地ゆう) 【写真】コンドームの「伝道師」としてタブーだらけの日本の性教育に一石を投じた高校教諭(当時)の清水美春さん
北丸雄二(きたまる・ゆうじ)
ラジオやネット番組のニュース解説のほか、政治や文学の論評も。2018年、25年暮らしたニューヨークから東京へ拠点を移した。主な著書に「愛と差別と友情とLGBTQ+」(人文舎)などがある。
私がNYに暮らし始めたのは1993年2月のこと。HIVの有効な治療法が確立される前で、感染拡大が顕著だったNYでは多くの人が死に、私の周囲でも死は遍在していました。 すでに、エイズ報道は連日行われていて、著名人が次々とカミングアウトし始めていました。同性愛者であるという個人的な問題が、エイズという社会課題とつながり、人権に結びつく大義名分になったのです。 映画、音楽、小説など、エイズをテーマにした名作も多く生まれました。メディアや世論を巻き込んだ人権運動は、性的少数者の声を届けることになりました。 エイズが流行し始めた1980年代の米国は、レーガン政権下で力を持ったキリスト教右派の保守思想や、高度な資本主義のあり方にひずみが生まれ始めていた時代でした。 家族や地域コミュニティーが崩壊し始め、家族主義や男性中心の保守的な思想ではなく、個を尊重するリベラルの思想に、新しい家族やコミュニティーの形を見いだし始めた人たちがいました。エイズはこうした時代背景と重なり、各地で他人同士が助け合う新たなコミュニティーを生んでいったのです。 ただ、1980年代の後半まで、米国でもエイズは公的な場で語られるものではありませんでした。保守派の共和党は、伝統的なキリスト教の価値観を守る象徴としてエイズを排除することで、政治資金集めにもつなげていました。米国でそんな価値観が変化し始めたのはクリントン政権後のことです。