アフリカの実情を伝える、むきだしの喜怒哀楽
カメラマン または現地助手の存在
三浦 実は僕はテレビを持っていないんです。須賀川さんの存在は、最初はSNSで知りました。テレビが主戦場だと思いますが、現場の状況をSNSでも事細かく発信されて、注目されていますよね。 須賀川 実は社内では「戦場記者」ではなく「炎上記者」と揶揄(やゆ)されています(笑)。テレビのニュースは時間が短いので、ディテールは省略せざるを得ないんですね。SNSでは、映像を観ただけでは伝わらないディテールを発信しています。するとそれを熱心に観てくれる人がいて、信頼にもつながりますし、逆にアンチも増える。いずれにしてもSNSでは「背景を知らない」「対象について詳しくない」ということはすぐにバレてしまいますね。 三浦 聞きかじりで、それっぽく政治や社会問題を語ろうとすると、結局、誰かの受け売りになってしまう。僕もアフリカに赴任した直後は、怖くて何も書けませんでした。だからこそ現場へ行って、自分が見たり聞いたりしたことを、そのまま正直に書こうと思ったんです。 須賀川 見たままと言えば、赤土を混ぜた顔料を全身に塗ったヒンバ族の女王を取材した話も興味深かったです。女王のショッピングセンターでの買い物に同行し、村へ招かれるという。三浦さん本人の好奇心や驚き、戸惑いがダイレクトに伝わってきました。これに理屈をつければ、つまらなくなってしまいます。 三浦 須賀川さんの映画の中では、特に須賀川さんの表情が「雄弁」なんですよね。危ない時は“ヤバい”という顔をしている。アフガニスタンで、麻薬中毒者がたむろしていて、悪臭が漂う橋の下へ入った時とか、まさにそう。危険な現場では、表情を作ったり演じたりできないですものね。同行しているカメラマンも怖いはずなのに、すごい映像を撮っている。 須賀川 カメラマンにはいつも感謝しているんですよ。テレビの世界では本来は影の存在ですが、僕は撮影中にカメラマンに平気で話しかけたりするし、カメラマンからの指示もそのまま作中で使ったりしています。これまでなかった形ですが、どんな人が映像を撮っているのかも観る人に情報として伝えたいんですよ。本書でも「助手」がよく登場しますね。 三浦 アフリカに駐在していた時、サブサハラ(サハラ砂漠以南)の四九カ国を担当していたんです。大統領の名前すらすべて覚えきれないのに、広大な大陸を記者一人で取材なんてとてもできません。現地のフィクサー(取材助手)に下調べをお願いして、彼らのネットワークを使って取材するのが普通です。かつての日本の国際報道だと「記者が一人で取材した」という体裁が多かったのですが、実際は違う。そうした事情は新聞では行数の都合で書けないけど、本の中では正直に書くようにしています。須賀川さんも映画のエンディングでフィクサーを次々紹介していて、素晴らしいと思いました。 須賀川 本当に、いい助手がいるかどうかが大事ですよね。僕は紛争地へ行く時、安全確保も兼ねて退役軍人などミリタリー・コーディネーターにも同行してもらっています。 三浦 アフリカにも危険な場所は多いですが、日本人に対しては、歴史的にも対立する理由がなく、むしろ友好的ですよね。須賀川さんが現場で一番怖かったのはどこでしたか? 須賀川 アフガニスタンです。タリバンの中に、超強硬派のハッカーニ・ネットワークという、アメリカを後ろ盾とした政府軍と最も激しく闘った集団がいるんです。首都カブール近郊に拠点の村があるんですが、タリバン政権になる前は、村へ至る道のあちこちに爆弾が仕掛けられていたんですよ。地元の人も近づかず、取材を希望すると「死にたいのか?」と。ところがタリバンが政権を奪取した後は、少し安全になり、フィクサーの尽力もあって行けることになったんです。実は、今進めている取材の一環で詳しくは言えませんが、現地に行く道中も行ってからも緊張の連続で。取材を終えて村長に挨拶した後、フィクサーとドライバーは村長たちの姿が見えなくなるのを待って、車の下を覗き込みました。爆弾が仕掛けられているか確認するためです。本当にヤバいところへ来たと冷や汗が出ました。