「子どもがかわいそう」体験格差を危惧する人が見落としている、より深刻な「格差」“お金のない家”で育った女性が母親になって痛感したこと
「体験格差」という言葉をご存じですか? 学校外での体験機会を得られるかどうか、子どもによって格差が生じていることを表す言葉で、「世帯年収が高いほど体験機会が多い」などと年収と絡めて、各家庭の年収によって体験格差が広がるかのような記事も散見されます。 【あわせて読みたい】「夏祭りすら十分に楽しませてあげられない…」シングルマザーの“悲痛な叫び” 深刻すぎる「体験格差」の実態 このような情報が飛び交う中で、「海外旅行に連れて行けない」「習い事をさせてあげられない」「高価な知育玩具を買ってあげられない」……つまり「お金がなくてできないことが多く子どもに何もしてあげられていない」という罪悪感を抱くご両親からのご相談が増えています。しかし、私はそこに強い違和感を感じてきました。私自身、あまりお金のない家で育ちましたが、「何もしてもらってない」なんて思ったことは一度もありません。もちろん、生活をしていく上でお金はとても大切ですが、情報に左右され過ぎて「本当に大切なこと」を見失っていないか……。一度立ち止まって考えるきっかけに今回のコラムがなれば幸いです。
ショッピングモールのフードコートは「もったいない」…お金のなかった幼少期
食べるものに困るほどではなかったけれど、お世辞にもお金があるとは言えない家で私は育ちました。両親がブランド物を買ったり身につけたりする姿は一度も見たことがないし、普段着の洋服でさえ「まだ着れるから」と滅多に買わず。幼少期頃の写真を見返すと、父はどの写真でもほとんど同じポロシャツを着ています(そして今でもたまに着ているからびっくり!笑)。 外出先は常に無料スポットで、母の手作りのお弁当を持って出かけていました。ショッピングモールのフードコートは、「もったいないから」と利用した記憶は一度もなく、買い物が終わると「お昼ご飯は家で食べます」とそそくさと帰宅していました。たまに行くファーストフードでも、玩具付きのセットを買ってもらったことは一度もなく、テイクアウトオンリーでポテトは大きいサイズをみんなで分け合い、飲み物は絶対に頼まずに家で沸かしたお茶を飲むという徹底ぶりでした。 当時は今のように安く子ども服が買えるお店も周辺になかったので、3人姉弟の洋服は母がワンオペ育児の合間に手作りしたものや、知り合いからいただいたお下がりをありがたく着ていました。定価で何かを買ってもらったことは一度もない気がします。ちょうど絵本の収納に困っていたときに、散歩の途中で近所の人が本棚を粗大ごみ置き場に持って行こうとしているところに遭遇し、「その本棚、譲っていただけませんか?」と母。母と姉弟3人で本棚をよいしょよいしょと運んで帰ったことなんかもありました(そしてその本棚はつい最近まで現役で活躍していました)。 車社会の地方出身なので、旅行は自家用車で格安で宿泊できる会社の保養所が定番で、飛行機に乗ったことなんてもちろんなかったし、海外なんて考えたこともなかったです。実はそんな一家がその後、まさかのアメリカ転勤となってすったもんだするのですが、その話はまた別のコラムで紹介させてください。