明石市は、社会を変える希望の原理となった…泉房穂、東大時代の「恩師」と語る
身を縮めて生きさせられたジリ貧の30年
菅このままでは、どうにもならない。 泉民衆が苦しんでるのに、企業の内部留保を上げても意味あらへんのに。どないするのか。 菅株が上がるだけですよ。株価は今や短期的な個々の企業の業績の指標ではあるけれど、国民生活とは逆相関だし、産業の発展の指標でもない。 泉そう思います。でも、そのことを言う政治や人がいない。選択肢がない状況が続いてますね。 菅だから30年間実質賃金が下がりっぱなしです。こんな「先進国」はどこにもない。競争力指標は、1989年には世界一位だったのが、30年後には27位です。別に一番である必要はないけれど、これだけのジリ貧を30年許してきたことが、大衆の敗北ということの具体的な意味ですよね。 所得の絶対値じゃない。身を縮めて生きさせられ続けたジリ貧の30年によって、諦めから来る自虐と裏表の、本当は自分の利害と一致する主張を潰しにかかるサディズムが横行するようになった。日本スゴいとかいった空疎な幻想に浸りながら、自分たちで自分たちを食う志向がのさばっているように思います。これって、この社会の未来とか、世界の未来とかがマシになることはないという絶望の刷り込みで成り立つ錯覚の産物だと思う。 敗戦直後の日本に、曲がりなりにも民主主義が定着し、自分たちの自由の拡大とか、未来を選ぶ権利とかを多くの人が考えることができたのは、今はひどい暮らしでも、どんなに無権利状態でも、それは変えられるんだという希望に導かれていたからだと思うんですよ。そういう希望の新しい基盤になるものを作ることがまず必要で、その希望が見えてきたときにはじめて、国の形とか、社会の形とか、人と人との関係の作り方とかに関する大衆自身の選択に関する議論も、余裕をもって本格的にできるようになるんじゃないか。落ち着いた正味の議論ができる社会に移行することもできるのではないか。 泉希望が見えれば、民衆の熟度が変わってくるかもしれません。 菅あなたが明石市でやったことに敬意を表するのは、全体を変える希望の源泉を明石につくったことです。やればできることがいろいろあって、それが実現すれば暮らしがよくなることを、政策を通じて市民の多くに体感させた。全体の世直しの議論ができる環境づくりの第一歩が作られた。やっと、現実問題として、市場原理による競争が幅を利かすのではない、助け合いが原理となる社会をどう作るかとか、平等な社会には君主制国家はよくないのではないかとか、私などがしたい議論が、無条件にはディスられない空間の保証という希望も作ってもらったんだと思ってます。 《つづきを読む》革命の代わりに選挙がある…菅孝行・泉房穂が衆院選の後に考えたこと
泉 房穂、菅 孝行