「子宮を返してほしい」…強制不妊 国に奪われた“人生” 闘い続ける女性
日テレNEWS
「子どもを産む自由」を国の法律によって奪われた人がいます。“旧優生保護法”のもとに、強制的に子宮を摘出された西スミ子さん。自分のありのままをさらけ出して、差別と闘い続ける姿に密着しました。 ◇ ◇ ◇
脳性まひがある西スミ子さん(76)は「子宮を返してほしいですね」と語りました。
■「生理がなくなる」とだけ説明され…
スミ子さんは13歳のころ、「生理がなくなる」とだけ説明され、子宮を摘出する手術を受けました。 西スミ子さん 「(施設の職員に)また生理なのとか。またなの?またなの?って言われるのが嫌で…」 「結婚しようと思った相手がいたのにね。『だまされた』って言われて」 子どもが産めないと伝えた男性とは結婚が破談に。子どもがほしい一心で乳児院に相談するも、断られたといいます。
■「旧優生保護法」…“約2万5000人”が強制的に手術
スミ子さんから、誰もが当然に認められるべき「子どもを産む自由」を奪ったのは「旧優生保護法」。障害がある人などに強制的に不妊手術をすることを認めた法律で、1996年に法改正されるまで、およそ2万5000人が手術を受けたといわれています。 これまで、全国で約40人の被害者が国を提訴。差別などを恐れて匿名の被害者が多いなか、スミ子さんは名前を公表し、裁判で闘うことを決めました。
■「障害者」であるまえに「ひとりの人間」
スミ子さんの自宅に貼られた大きな紙には、「自立して生きていきたい」との文字が書かれていました。20代のとき、自分が「人」として扱われていないと感じ、スミ子さんは施設を退所。介護ボランティアを自ら探し、8年かけて自立しました。 西スミ子さん 「決まったレールにのるのが嫌だ。自分でやっていきたいなと思って」 たばこも吸うスミ子さんは、“障害者”であるまえに“ひとりの人間”。カメラの前でも、「ありのまま」を崩しません。 今年4月、スミ子さんは大阪へ向かいました。裁判で証拠となる不妊手術を受けた記録を探しに、当時生活していた施設を訪れました。 「ぜひとも探してください。よろしくお願いします」 長い年月が経ったいま、当時の記録を探すことも、被害者にとって大きな負担となっています。