「報道メモ」「リーク情報」「夜討ち・朝駆け」── 事件報道の現場 その実態と課題は?
減る事件、増す報道の歪み
1980年ごろまでは、記者が刑事部屋にふつうに出入りし、その横で参考人が聴取されている、といった風景も日常的でした。現場取材で非常線の内側に入り、鑑識捜査員の脇で取材することもあったようです。人気を博した古いテレビドラマ「事件記者」の世界です。「マスコミが捜査側と一緒になって犯人捜しをしたり、容疑者を極悪人に仕立てあげたりする風潮はこの時代に出来上がった」と言う研究者は少なくありません。 こうした状況が変わったのは、30年ほど前からです。捜査機関側の情報管理は厳しくなり、日中から記者と捜査関係者が堂々と接触することは困難になってきました。庁舎セキュリティーも格段に向上し、受付までしか入れないことも珍しくありません。 それらと並行して、事件報道の背後では大きな二つの社会的な変化がありました。一つは事件そのものの激減です。実は、日本では殺人・強盗殺人・強盗などの凶悪事件は、相当前から減少局面に入っています。ここ数年は毎年、刑法犯は史上最少を更新し続けています。「件数は減ったかもしれないが、少年の凶悪犯や無差別事件は増えたのではないか」といった指摘もありますが、犯罪学の専門家らの研究では、戦前や終戦後もこうした犯罪は相当数あったようです。 もう一つの変化は、高度情報化社会の到来です。犯罪報道はかつて、よほどの事件でない限り、全国紙の地方版や地方紙、ローカル局などの範囲にとどまっていました。ところが、インターネットなどの発達によって、遠い地方の事件も全国各地で知ることができるようになり、国民が犯罪を身近に感じるようになってきました。最近の総理府調査などを見ると、日本の治安に不安を感じる国民が多い一方、自らの近隣では治安に不安を感じない、という傾向が顕著になっています。警察庁は1990年代初めごろから、これを「体感治安」という言葉で表すようになりましたが、実態と意識がかけ離れているのかもしれません。 そうした変化にもかかわらず、マスコミの姿勢が変わっていないことも問題でしょう。以前と同じように大人数を事件担当記者として配置し続け、「犯人捜し競争」「犯行の態様報道競争」に狂奔するわけですから、事件現場や関係者宅に大勢の記者が押しかけ、多数のマイクを突きつけながら歩く。そんな「集団的過熱取材」(メディア・スクラム)は近年、いっそう激しくなってきました。 マスコミ関係者の中には「ネットで犯人捜しが行われたり、少年の実名がさらされたりする。狂奔しているのはネットの背後にいる不特定多数の人たちではないか」との声が少なくありません。しかし、そうだとしても、警察に優先的にアクセスできるマスコミの取材が、大げさであったり、不確かであったりする点は、マスコミ自身が検証しなければならない課題です。 犯罪報道は本来、事件が起きた背景や病理を粘り強く、広範に取材し、不幸な事件を少しでも減らしていくことが目的です。捜査機関に誤りがないかどうかをチェックするのも重要な役割です。そのためには法律の専門知識、捜査機関に関する制度や権限の研究、人権意識などが欠かせません。日本のマスコミの事件担当は、新人記者など若い記者が多く配置されているのが特徴ですが、本当は異動も減らして経験豊富な専門記者の領域とし、初期の集中豪雨的な報道ではなく、「検証」重視の内容に変えていくべきかもしれません。