海保機が離陸順位優先と認識か 運輸安全委、羽田事故の経過報告公表
国の運輸安全委員会(JTSB)は12月25日、羽田空港で今年1月2日に起きた海上保安庁機と日本航空(JAL/JL、9201)機の衝突事故について、経過報告(中間報告)を公表した。事故が発生した要因として大きく3点を挙げ、海保機MA722(ボンバルディアDHC-8-Q300型機、登録記号JA722A)が管制官から滑走路への進入許可を得たと認識していたこと、羽田空港の管制を担う東京飛行場管制所は海保機がC滑走路(RWY34R)へ進入して停止したことを認識していなかったこと、JALの札幌発羽田行きJL516便(エアバスA350-900型機、JA13XJ)は衝突寸前まで海保機を認識していなかったことが重なり、事故につながったとの見方を示した。 【写真】海保機との衝突で焼け落ちたJALのA350 JTSBの経過報告は、法律で定められた1年以内の調査終了が困難なためで、「社会的関心が強い事故」(武田展雄JTSB委員長)として、経過報告としては異例の資料を含めて200ページ近い報告書になった。一方、「事故防止や被害の軽減に寄与することが目的で、事故の責任を問うものではない」と、調査の趣旨を強調した。 事故は今年1月2日午後5時47分ごろ、前日に発生した能登半島地震の被災地向け救援物資を新潟空港へ運ぶ海保機と、JALの札幌発羽田行きJL516便がC滑走路で衝突し炎上。海保機は乗員6人のうち機長を除く5人が亡くなった。JL516便は乗客367人(幼児8人含む)と乗員12人(パイロット3人、客室乗務員9人)の計379人が搭乗していたが、全員が3カ所の出口から緊急脱出し、脱出時に1人が重傷、4人が軽傷を負った。 経過報告書によると、海保機は、上席飛行士の資格を持つ機長(当時39)と主任飛行士の副操縦員A(41)が操縦。APU(補助電源装置)のジェネレーター(発電機)が不調だったため、整備作業で出発が遅れたことや、羽田へ帰投後の隊員の帰宅時間などを考慮し、機長は出発を急いでいた。 一方、海保機がC滑走路の離着陸機を担当する東京飛行場管制所の「タワー東」の無線周波数に切り替える前に、JL516便に着陸許可が出ていたことから海保機はC滑走路へ進入中のJL516便を認識していなかった。また、タワー東の管制官から海保機に対し、離陸順序が1番目であることを意味する「No.1」の指示があった際、海保機の機長は管制官が離陸順位を優先してくれたと認識していた。また、副操縦員が管制指示を「To holding point C5, JA722A, No.1 Thank you」と復唱した際、機長は「No.1」と誘導路を示す「C5」のみ復唱確認していた。 海保機はC滑走路の途中から離陸する「インターセクション・デパーチャー」を指示され、C滑走路の途中に接続するC5誘導路へ向かった。この際、機内の通信士から滑走路進入時に無線通信が入ったことや、C5の停止線灯が運用されていなかったこと、着陸許可を得たJL516便を認識していなかったことなどが重なり、C滑走路に進入したと現時点で分析している。 JL516便の操縦は、機長(50)とA350のライセンスを取得し移行路線訓練中の副操縦士(29)の2人に加え、JALの社内規定で訓練中のパイロットが乗務する際に同乗する資格保持者「セイフティー・パイロット」(34)の3人がコックピットに乗務。海保機の存在は、C滑走路へ着陸する寸前に機体前方を照らす「ランディング・ライト」の明かりで初めて認識した。 コックピットボイスレコーダー(CVR、操縦室音声記録装置)の音声記録には、JL516便が着陸後に海保機を認識したとみられる音声が残されていたが、それまでは海保機を視認した発言は記録されていなかった。事故発生当日は、羽田空港の日没が午後4時39分、屋外での活動が可能とされる「常用薄明」の終わりが午後5時7分で、月も出ていない状況だった。 JTSBでは今後、衝突後のJAL機の損傷状況、JAL機から非常脱出時に重大な人的被害が出なかったことも含む脱出状況、消火や救難の状況などの分析を進める。最終的な調査報告書の公表時期は「いつと言うことが言いがたい」(武田委員長)としており、「社会に伝えるべきものがあれば、途中の段階でも提言なり、意見(の公表)はありうる」(同)としている。
Tadayuki YOSHIKAWA