《時代を敏感に感じ取ってきた女性芸人たち》日常的だった「容姿いじり」からの脱却、変化するその環境や意識
ブスいじりが「芸」として確立された時代、当事者は自らに課された“役割”をどう思っていたのか。 「20年前を思い返してみると、先輩の男性芸人が求めているだろう言葉を選択しようと頑張った気がします」 そう振り返るのはお笑いタレントの青木さやか(51才)。1996年にデビューした青木は、「どこ見てんのよ!」のキレ台詞で一躍ブレークし、売れっ子の仲間入りを果たした。だが本人には複雑な思いがあったと語る。 「キレキャラは自分でやりはじめましたが、本当にキレていたこともあれば、無理してキレていたときもあり、器用ではないから、いつもキレて笑いにつなげるのは難しかったです。 ときには、一連の流れの中でキレているのに、オンエアを見ると私が脈絡もなくキレているように編集されていることも多く悲しかったことも多かった。これでは、理由なく、ただキレてる人だから。キレては傷つきキレては傷つき、余裕がなく、私を守ってくれる人は極端に少ないと感じていましたね」(青木・以下同) 時には求められる役割を演じ切れず、「素」になってしまうこともあったという。 「私はいじられるということがお笑いをはじめるまではまったくなくて、自分がいじられることになり最初はびっくりしました。例えば男性芸人が楽屋でパンツを脱いで私に見せてきたとき、『汚いもん見せてんじゃねえよ!』と言えばウケただろうけど、私そういうのは本当にダメで黙って苦しくなることがありました。すると相手は、“は? マジのリアクションなの?”となって楽屋の男性陣がシラケる。 道を歩いていると私を怒らせようといじられて。キレてほしいわけですよね、私に。あれは嫌でしたね。できるだけ出歩かないようにした時期がありました」 2010年に産休に入ったことを機にテレビでの露出が減った。全盛期に感じていたやりきれなさを他人に話すことはなかったが、数年前、オアシズの光浦から「青木はえらいよ、頑張ってるよ」と言われたことが忘れられないと語る。 「光浦さんは自身の経験からも私の気持ちが透けて見えて、ねぎらってくれたのだと思います。『えらかった』と言われてふいに涙があふれ、光浦さんが頑張っているんだから私も頑張るかーと。細かくは話していませんが、共通の理解があり多く語らずとも気持ちが通ずる先輩がいるのは心強いことでした」 (後編へ続く) ※女性セブン2024年7月4日号