918人が集団自殺…「カルト」の文字が初めて新聞に踊った1978年人民寺院事件…日本では“金余り”90年代に「オウム、統一教会、幸福の科学」らが躍進
金余り時代のオウム真理教、幸福の科学、旧統一教会
この事件によって、カルトに世界的な関心がむけられるようになるが、日本でカルトが大きな問題になってくるのは、1990年代に入る頃だった。当時の日本社会はバブル経済の絶頂期で、金余りの風潮が続いていた。 1989年に昭和天皇が亡くなり、平成の時代に変わる。これは、拙著『捨てられる宗教―葬式・墓・戒名を捨てた日本人の末路』(SB新書)で指摘したことだが、日本の宗教団体は、既成宗教、新宗教を問わず、平成の時代に入った時点で信者数はピークを迎えていた。 それ以降、平成の30年強が過ぎていく間に、各教団は大幅に信者数を減らしていく。総数ではおよそ3割の減少となった。 逆に言えば、平成への代替わりが行われた時期は、各宗教が活況を呈していたわけで、そのなかでオウム真理教や幸福の科学といった新しい教団が注目された。旧統一教会に注目が集まったのも、同じ時期のことである。 1989年には、オウム真理教を糾弾する週刊誌のキャンペーンがはじまり、その最中に、教団を批判していた坂本堤弁護士の失踪事件が起こった。 当然、オウムに疑いがむけられたが、坂本弁護士との関係がよくなかった神奈川県警が十分な捜査を行わなかったために、犯罪を立証できなかった。このことが後に重大な影響を与える。 1991年には、オウムとともに注目を集めた幸福の科学が、写真週刊誌の『フライデー』などによる批判に大量のファックスを送って抗議する行動に出た。 旧統一教会の合同結婚式に桜田淳子などの著名人が参加したのが1992年で、翌年には、その結婚式に参加した元新体操選手、山﨑浩子の脱会という出来事が起こり、「マインド・コントロール」ということに注目が集まった。 1994年には松本市でサリン事件が起こり、その年のうちに警察はオウムによる犯行を疑うようになるが、1995年3月、強制捜査を察知した教団は地下鉄サリン事件を起こす。 このように、1990年代前半は宗教団体をめぐる事件が頻発した。さらに、オウムの教祖である麻原彰晃や幹部が逮捕され、長期にわたる裁判がはじまった後にも、1999年にはライフスペースによる「成田ミイラ化遺体事件」が起こり、2003年には白装束集団こと、パナウェーブ研究所をめぐる騒動も起こった。 「最高です!」と絶叫させる研修会で知られるようになった法の華三法行の教祖、福永法源が詐欺の容疑で逮捕されたのも2000年のことだった。 こうした教団については、いずれも本書でふれるが、同じ時期、海外でもカルトと見なされる教団による事件が頻発した。 写真/shutterstock
---------- 島田裕巳(しまだ ひろみ) 1953年東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在、東京通信大学で非常勤講師を務める。主な著作に『日本の10大新宗教』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『もう親を捨てるしかない』『キリスト教の100聖人』(すべて幻冬舎新書)、『性と宗教』『帝国と宗教』(ともに講談社現代新書)等がある。 ----------
島田裕巳