内田理央・松井玲奈主演「嗤う淑女」原作で重要な一話を抜かしてる? 改変の理由とこの先の展開に期待大! 稀代の「悪女」が「淑女」とされたワケとは
■なぜ悪女でなく淑女なのか
本書の単行本が2015年に刊行されたとき、中山七里さんにインタビューをしたことがある。出版社から「悪女ものを」とリクエストされたのに、タイトルが「嗤う悪女」ではなく「淑女」なのはどうしてですかと尋ねた私に、中山さんは「美智留は俯瞰したら悪女だけど、各章に登場する人たちにとっては思いを遂げさせてくれる天使であり教師だから」と答えた。 これが本書の核である。銀行員も主婦も、ドラマオリジナルのネット論客も推し活の女性も、きわめてよくある状況だ。読者に近い登場人物もいるだろう。皆、今のままでいいとは思っていない。そんなとき美智留は「彼らが言ってほしいことを言う」のだ。「言ってほしいことを言ってくれる」人に、人は簡単にほだされる。だから彼らは、犯罪を犯してしまったあとも美智留を恨まない。だから悪女ではなく淑女なのだと。 今回のドラマ化は改変やオリジナルエピソードもあるけれど、騙された側も幸せだったという原作の核についてはちゃんと踏襲しているように思う。美智留に「がんばりましたね」と声をかけられたときの主婦──青木さやかさんの表情が素晴らしかった。はたから見れば、なぜそんな文言に乗せられてしまうんだとジリジリするが、自分を認めてくれたという思いがすべてを目隠しする。10年近く前の原作であるにもかかわらず、現代のエコーチェンバーの問題点に近いものを感じてしまう。 さて、ドラマはオリジナルエピソードを挟みながらもそろそろ佳境へ向かう。前述の原作第3話がどう扱われるか次第ではあるが、もし、恭子の実家を美智留が訪れる回があったとしたら松井玲奈推しの皆さんはちょっと心の準備をしておいた方がいい。衝撃的な展開になる(かもしれない)から。だが、もしそこから原作通りに進むなら、その先こそが内田理央と松井玲奈、ふたりの役者の腕の見せどころである。ぜひとも原作のあの展開をこのふたりの芝居で見てみたいので、できればラストは原作に沿ってほしいのだが……さてどうかな? もし原作第3話が映像化されず原作とは異なるラストに着地した場合は、ぜひ原作を読んで、内田理央&松井玲奈で脳内再生してほしい。ふたりの芝居で見たいと書いた理由がおわかりいただけるはずだ。 なお、原作では終盤に裁判シーンがあり、そこに宝来兼人という弁護士が登場する。彼は著者の別作品「御子柴礼司シリーズ」(講談社文庫)や『スタート!』(光文社)などにも登場する。前回の海堂尊の作品群同様、中山作品もすべて同じ世界線にあるのだ。『嗤う淑女』の続編である『嗤う淑女 二人』(実業之日本社文庫)には、『連続殺人鬼カエル男』(宝島社文庫)の主要人物も登場するし、通して読むといろいろ発見があるはず。また、共通する人物はいないが著者のデビュー作『さよならドビュッシー』(宝島社文庫)と本書を続けて読むと興味深い共通点に気づく、かも。 大矢博子 書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。 Book Bang編集部 新潮社
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