【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】 南海ホークスの名投手・佐藤道郎が語る"ミスタープロ野球"<後編>
佐藤 そんなのは、俺たちにとって関係ない。自分たちのことで必死でね。俺たちは大阪球場と西宮球場でプレイオフを5試合戦ってたから。10月24日の第5戦に勝って大阪でどんちゃん騒ぎ。誰も日本シリーズのことは考えてなかったと思う。 ――巨人との日本シリーズは、3日後の10月27日から行われました。 佐藤 何の準備もなくて、勝てるはずがないよね。長嶋さんが打球を当てて右の薬指を骨折したことも知らなかったくらいだから。だから、あの年の日本シリーズに、長嶋さんは出てないんだよな。長嶋さんは一塁ベースコーチャーをしてた? 全然、覚えてないね。 ――日本シリーズの記憶は? 佐藤 第1戦、大阪球場で勝ったことは覚えている。あとは4連敗。シーズン中に不調だった(12勝17敗、防御率4.52)堀内恒夫がなぜか日本シリーズで活躍して、MVPを取ったんだよな(2勝0敗、防御率0.91。打率.429)。 ――佐藤さんは2試合に登板、第2戦で敗戦投手になっています。 佐藤 堀内にセンター前にタイムリーヒットを打たれて、それで負けたんだよな。 野村監督は門限を設けない人で、日本シリーズの期間でもいつも通りだった。「ちょっとガソリン入れてきます」と言って、街に飲みに出たもんだよ。 ――1988年にダイエーに買収される南海にとって最後の日本シリーズになりました。そして、長嶋さんにとっても現役最後の日本シリーズでしたね。 佐藤 その時はそう思わなかったけど、今から考えたら歴史的な日本シリーズだったんだよね。 次回、土井淳編①の配信は10/19(土)を予定しています。 ■佐藤道郎(さとう・みちお)1947年、東京都生まれ。日大三高から日大に進学ののち、1970年にドラフト1位で南海ホークスに入団。1年目から抑え投手として活躍し、ルーキーイヤーに最優秀防御率と新人王をダブル受賞する。74年には最優秀防御率に加え、パ・リーグの初代セーブ王に輝いた。79年に大洋ホエールズに移籍した後、翌80年に引退。その後、ロッテ、中日、近鉄でコーチ、二軍監督を歴任し、現在は東京・学芸大学にて『野球小僧』の店主として店に立っている。「野球小僧を応援する会」FB【】 取材・文/元永知宏