「42年間お世話になりました」涙を堪え無念の60歳夫、定年直前の会社の裏切りで〈中間層〉から〈貧困層〉へ脱落…糟糠の妻にも見捨てられる“年金12万円”の悲惨な老後 【CFPの助言】
1970年代に日本は「一億総中流」という意識が浸透するほど、中間層の割合が多かったのです。しかし現在は、経済低迷によって中間層から低所得者へと転落する人が増えています。今後、低所得者が全体の7割以上を占めるとの予想もあります。本記事では、稲田さん(仮名)の事例とともに、不確実性の時代におけるマネープランの考え方について、FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が解説します。 【早見表】年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
長く勤めてきた会社の裏切り
稲田宏さん(仮名/60歳)は地方にある中小企業に長年勤務してきました。高校を卒業してから、ずっとひとつの会社に勤務しており、大卒ではない社員としては異例の出世で総務・経理担当の部長職についていました。 稲田さんが働く会社は、先代社長のころからワンマン経営でした。多くの社員が社長に意見することもできない恐怖政治が続き、息子が新社長になったいまもそれが変わることはありません。むしろ新社長は会社を私物化しているような側面さえあるような状態でした。 稲田さんはそんな会社でも「仕事が辛いのは当たり前だ」「自分は会社員だから」と考えて、長年自分の意見を押し殺しながら勤めてきました。挫けそうになっても耐えられたのは、高校時代からの付き合いである妻が、パートで家計を助けながら家で支えてきてくれたことも大きかったようです。 稲田さんは新社長が就任したあと、新社長から提出される領収書に疑念を抱いていました。新社長は自分のお気に入りのスナックでいつも多額のお金を使っていたり、リゾートホテルのツインルームに泊まるなどどう考えても私的なものと考えられる旅行の領収書を提出することも。 稲田さんは総務・経理として、社長へ領収書の詳細を頻繁に確認していましたが、そうした行動によって社長から疎まれる存在になっていました。 脱落への転機 そんな状況が続くなか、ある日会社の経理システムが変更されることに。稲田さんが使い慣れていたシステムと比べて、大幅に使い勝手が違ったものになったのです。より便利なシステムへと移行したのだと頭では理解しながらも、デジタルに弱い稲田さんにとっては働きにくい環境になりました。 部下を指導する立場にも関わらず、稲田さん自身がシステムを理解していないため、比較的早くシステムに慣れた若手社員に追い抜かされていきます。稲田さんは、自分が会社のなかでお荷物のような存在になっていくのを感じていました。 稲田さんの仕事ぶりを見ていた新社長は、稲田さんに異動を命じます。異動先は社長のお気に入りのスナックのママが社長を務める美容サロン会社でした。経理業務と、清掃や備品の補充業務などの仕事が主な業務内容だといいます。年収は380万円へと下がるため異動を断り続けていた稲田さんでしたが、近ごろの職場における自分の立ち位置もあって断ることが難しくなり、ついに異動を承諾してしまいました。 しかし、慣れない職場で仕事を覚えるのも大変で、以前よりも低い賃金で働かなければならない状況に段々居辛さを感じます。そして、稲田さんは長年会社に尽くしてきたにもかかわらず、退職する決断をすることになりました。 退職の当日、「42年間お世話になりました」と挨拶をした際には最後がこれか、と思わず涙がこぼれそうになるのを必死でこらえました。 公的年金の受給開始までは5年もあり、3人の子供たちも独立したばかり。退職金はもともとない企業でしたので離職は関係ないですが、老後資金の用意もほとんどなく、住宅ローンもあと5年残っている状態。稲田さんはどうしようもない息苦しさを感じます。自主退職であったため失業給付もすぐには受け取れず、仕方なく単発のバイトを掛け持ちしながら生活することになりました。
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