「10年前の自分に平手打ちをして、この本が溶けるまで読ませたい」大人気ブロガーが後悔するほど激しく納得した『「好き」を言語化する技術』とは(レビュー)
近年、「言語化」というワードをよく耳にするようになりました。 SNSなどで多くの人が自分の気持ちを発信する現代では、「モヤモヤした気持ちを、言葉でうまく表現できない」という悩みを持つ方も多いようです。そんな中で話題を集めているのが、三宅香帆さんの著書『「好き」を言語化する技術』。 10年前から、はてなブログ「kansou」を運営し、日々「言語化」に向き合ってきた大人気ブロガーのかんそう氏も、「好き」を言葉にすることの難しさを語っています。 月間240万PVの最高値をたたき出し、はてなブログ内で6位の登録者数を誇るかんそう氏が、同書を読んで「10年前の自分に平手打ち」をしたくなった理由とは。以下、そのワケを語っていただきました。 *** そもそも「好き」を言語化する必要があるのか。 SNSが異常発達し、毎分、いや毎秒のように赤の他人の感想が流れてくる「1億総批評家時代」「1億総発信者時代」と言っても過言ではない令和。しかも、自分よりも発信力も影響力もある人間がゴロゴロいる中で、わざわざ自分の意見を言うことにどれだけの価値があるのか。少し厳しいことを言えば、ほとんどの感想に価値はないでしょう。 それでも、なにかを「好き」である限り、なにかを書かずにはいられない、誰かに届けずにはいられない、そんな病的な衝動に襲われる瞬間は絶対に来ます。その感情を自分の中だけでとどめておくのは、この時代においてはもはや不可能。書きたい。語りたい。届けたい。できれば、自分だけの感想で。自分だけの言葉で。 しかし、語る術(すべ)を知らなければ、その叫びは誰にも届くことなく泡沫のように消えてしまいます。インターネットという極寒の大海原を全裸で泳ぐのはあまりにも無謀。ドラゴンクエストで全装備を投げ出して魔王に挑むほど無謀な行為です。 かくいう私も、10年以上個人ブログで作品に対する感想を細々と書いている発信者の一人ですが、誰にも届かない、誰にも読まれない、犬も食わない感想にもなってない感想を書いて「なんじゃこの意味不明な文章…」と絶望し、文章どころか自分の存在ごと消し去りたくなった瞬間は数え切れないほどありました。溢れるほどの強い想いがあるのに、その1/100も表現できない。「好き」を言語化するということは簡単そうに見えて、実はとても難しいのです。