『光る君へ』三代の后のうち二人が未亡人となる中<この世>を手にしたのは、実は道長ではなく…『望月の歌』新解釈
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は望月の歌と3人の后について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 『光る君へ』次回予告。「これで終わりでございます」剃髪する道長に「藤式部がいなくなったからですの?」と問う倫子。「もう会えぬのか」との道長の声を振り切るようにまひろは砂浜を駆け… * * * * * * * ◆彰子、道長を任命する 藤原彰子の一生については、優れた伝記がいくつも書かれている。 その中で重要視されているのが、三条天皇への太上天皇尊号の贈呈と道長への太政大臣任命である。 譲位した先帝は上皇となるが、それには尊号(つまり、太上天皇号)を新天皇から与える詔(天皇の命令)が必要である。 その詔書の作成に際して、『小右記』長和5年(1016)3月9日条では、「摂政、太后の御前に候ぜられ、啓覧するなり」とあり、『御堂関白記』同日条では「余、宮の御方に候ず。可の字を画く」とある。 案文は頼通と彰子の御覧に入れたのだが、そこに「可」の一字、つまり天皇の決裁を入れたのは道長だというわけだ。 摂政と皇太后という2人の子供を操り、天皇をトップとした政治体制の枠の中で、道長は最大の権力を握ったといえる。
◆おのれの限界 ところが一方、このころに道長はおのれの限界を知ることになる。 寛仁元年(1017)11月、後一条天皇の元服に際しての加冠、つまり髪を結って髷に冠をかぶせ、実質的には後見役であることを披露するため、道長は太政大臣となるのだが、この決定は『小右記』によると「母后の令旨」、つまり彰子の私信的な命令の形式でおこなわれた。 実資はニヤッと笑ってこの一節を書いたことだろう。 少なくとも形式的には、太政大臣藤原道長は太皇太后藤原彰子によって任命されたのだから。 この加冠の儀式により、11歳の後一条天皇は成人となり、翌年中宮を迎える。 中宮はすでに尚侍となっていた彰子、妍子の同母妹の威子である。 尚侍は後宮女官のトップであるが、このころには天皇の妻の一人とみなされるようになっていた。 つまり後一条の中宮候補としてあらかじめ仕えていたわけである。 これは三条天皇の尚侍として最初は宮中に入った妍子と同様なのだが、大きく違うのは、三条の尚侍の妍子はおそらくほとんど彰子と会うことがなかったのに対し、彰子の子の後一条の尚侍である威子は、結婚以前から彰子の監視下に置かれただろうということである。 彰子の権威はさらに強化されたといえる。
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