『光る君へ』三代の后のうち二人が未亡人となる中<この世>を手にしたのは、実は道長ではなく…『望月の歌』新解釈
◆望月の歌と3人の后 それはともかく、威子が後一条の中宮となったことで、太皇太后(一条未亡人)彰子、皇太后(三条未亡人)妍子、そして後一条中宮威子と、いわば三代の后はすべて道長の娘で占められることになった。「一家三后」(『小右記』)といわれる状態である。 この祝宴で道長が、 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思えば と詠んだのは有名な話である。 近年、山本淳子氏はこの歌について、この世はこの夜との掛詞で、「望月」は后の隠喩として、三代の后をすべてわが娘で占めたことを歌ったものだという解釈をされている。 なかなか興味深い解釈だと思う。
◆太陽と月 私がそう思うのは、三代の后のうち2人までが未亡人だったからである。 この時点で政治に関わる男性皇族、つまり小一条院という尊号を受けて上皇待遇になった元東宮の敦明親王やその兄弟の一族以外には、男性の上皇・天皇・親王は、後一条とその弟の皇太子敦良親王(後朱雀天皇)しかいなかったことである。 女御は天皇の使用人で三位あるいは四位に叙せられるが、中宮・皇后以上は位階を持たない皇族待遇である。 道長の3人の娘は、もはや貴族ではなくなっていたことになる。 つまり一条・三条・後一条の三代にわたる天皇家の中枢にいる、事実上の王権の構成員は、この時点では、なんと後一条・後朱雀兄弟と、3人の后の5人だけで、6割が道長の娘だった。 まさに道長政権は天皇家男性(太陽)を最低限に抑え、后たち(月)にコントロールさせることで維持されていたのである。 ※本稿は、『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書)の一部を再編集したものです。
榎村寛之
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