「1年間、必ず工場のラインに入る」北澤豪がプロ化前の社会人経験を明かす!「60歳近くの人までいたり...」
「いろんな人といろんな話をしたり。アドバイスをもらったり」
元日本代表MFの北澤豪氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。Jリーグが誕生する前を振り返った。 【動画】元日本代表MF北澤豪がホンダ時代を回想! 北澤氏は、修徳高を卒業後の1987年に当時の国内トップリーグだった日本サッカーリーグ(JSL)の本田技研工業(現・Honda FC)に加入。一般の試験を受け、正社員としての入社したという。当時の会社の理念について、こう回想する 「サッカー部であろうが何だろうが、本田技研の理念としては、現場を知ることで、必ず大卒も高卒も1年間、必ず工場のラインに入る。それで、本田技研の仕組みを知りなさいみたいな」 93年のJリーグ発足前の選手たちは、サッカーと社業を両立する形で、午前中は仕事、午後から練習をしていたという。それでも、北澤氏は他の企業チームは多くが仕事後の夕方以降のトレーニングの形をとっており、「恵まれているよね」と感謝する。 一方、オフシーズンは1日中社業になり、心の葛藤もあったが、良い面もあったと語る。 「工場場内で、60歳近くの人までいたりとか。いろんな人と一緒にいろんな話をしたりとか。アドバイスをもらったりしたのは、励みになったかな。悩んでいたりとかすると『こういう本を読んだ方がいいよ』とか、飲みに連れてくれたりとか、いろんなことしてくれる。サッカー部以外でね。そういう社会交流みたいなのもあったから面白かったですけどね」 社会人としての経験も積んだ北澤氏は、その後、2年間の出場なしなど雌伏の時を経て、1990-91シーズンではJSLの得点王を獲得。日本代表まで上り詰めた。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部