一瞬で奪われた日常「防火用の水を飲もうとしそのまま息絶えた人も」思い託された亡き友の被爆体験を後世に 「語り継ぐ―戦争を知らなくても」(3)
15年に小野さんの肺がんが判明します。死期が迫る中、高齢化によって被爆体験の語り手が減っていることを危惧していた小野さんから「活動を引き継いでほしい」と何度も頼まれました。「当事者ではない自分には思いを伝えられない」と最初は断っていましたが、強い思いに押され「朗読なら」と引き受けました。亡くなる約半年前のことです。 朗読の練習を重ね、19年から学校を回り始めました。台本は小野さんが書き残したものです。78年前の夏に4人家族の日常を一瞬で奪われた6歳の少女の体験。「お風呂で水遊びをしていたら飛行機の爆音が聞こえてきます」「私は泣きわめきながら母にすがりつきました」「防火用水の水を飲もうとし、そのまま息絶えた人がたくさんいました」。情感を込めた語りで伝えると、子どもたちは静かに耳を傾けてくれるんです。 写真や地図を示して原爆投下の被害についても伝えますが、話を聴いた子どもたちの感想文からは、小野さんの実体験が何よりも心に響いていると感じています。
親交のある小野さんの長女(52)は「今は仕事があり難しいが、私がいつか活動を引き継げる日まで、母のバトンをつないでくださっている」と感謝してくれています。小野さんは未来ある子どもたちのために活動していました。平和な日常がいかに尊いか。私も子どもたちに伝えたいです。 広島への原爆投下 1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がウラン型原子爆弾を広島市に投下した。約14万人が45年末までに死亡したとされ、生き残った人も原爆による後遺症ややけどなどに苦しんだ。