Skateboarding Unveiled vol.8 ~写真文化とフォトセッション~
スポーツをルーツに持たないスケートボード
「スケートボードは他のスポーツより写真や映像に残す文化が根強い」 いきなりこんなことを言われても意味がわからない人も多いだろう。 だが自分は確信を持って真実であると伝えたい。なぜならスケートボードの歴史を辿れば、そこにはものすごくクリエイティブな世界が存在しているからだ。 その前に、スケートボード写真を語る上で重要なところとして、スポーツをルーツにしていないことを挙げたい。その時点で「スポーツ写真」の枠からはみ出ていたんだと、今になって思うようになったのだが、オリンピック競技に採用され、スポーツとしての一面が大々的に報道されるようになるまでは、当たり前のことでこの事実に自分自身が気付いていなかった。 そもそもX Gamesや先日開催されたWORLD SKATEの世界選手権などを撮りにくるマスメディアのカメラマンの方々は、数あるスポーツのひとつとして撮りに来ている方ばかり。であれば世間からスポーツだと思われていなかった、カルチャーと呼ばれていた頃から撮影している人達からすれば、スケートボード写真の捉え方が根本から違っていて当然だった。
コンテストの結果よりも重要なこと
では以前のカルチャーの時代はどうだったのかというと、コンテストにおける勝ち負けよりも、「どこどこのスポットで誰々がなんの技をメイク(成功)した」という話題の方が明らかに盛り上がっていたし、その証拠として後日写真が専門誌に掲載され、最終的にブランドやメディアの映像作品としてリリースされることで、プロスケーターやブランドの価値が向上し、売り上げに繋がるというマーケティングが成り立っていたのだ。 いわば写真はブランドやプロスケーターの個性を表現する上でこれ以上ないプロモーションツールになっていたというわけ。 だとすれば、写真や映像を残す時、撮影する側は当然創意工夫をこなすようになる。 同時にスケーター側も自身の持つスキルの最高レベルを形に残そうとするので、自然と作品としての価値が高まっていくのだが、その要素をより高めるものとして「同じ場所で誰かが成功させたトリックは出さない」という暗黙のルールがある。 なぜなら無限のスポット選択肢があるストリート(もちろん人としてやってはいけない場所はあるが)において、同じ場所で同じトリックを行うのは、先に成功させた人に対してリスペクトに欠けているとされ、たとえ成功しても価値は半減してしまうからだ。撮影する場合は、今までメディアに出ておらず、なおかつ既出のトリックよりも難易度を上げることが礼儀でもあり、そうすることで周囲のプロスケーターや業界関係者からも尊敬を集めることができるし、トリックも進化してきた。