未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓
遺族はこの30年間、何を感じてきたのか。 事件発生の翌日午前4時過ぎ。静岡県掛川市の小林房枝さん(82)宅の電話が鳴った。 「息子さんが危篤です」 次男の豊さん=当時(23)=は当時、長期出張で松本市に赴任していた。数分後に2度目の電話があった。 「亡くなりました」 その日の夕方、房枝さんは警察署でようやく息子に会うことができた。人懐こくて明るい性格の豊さんは、ひつぎの中で眠ったような顔。涙は出ず、何も考えられなかった。 2018年、教団幹部らの死刑が執行され、喪失感が残った。「死刑になって当然。でも憎むべき標的がいなくなった」 ▽未払いの賠償金 一連の事件の被害者や遺族は教団側に賠償を求めてきた。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」によると、房枝さんを含む約1200人が約38億円を請求。これまでに教団の破産手続きと後継2団体の支払いから約19億円の配当があった。
しかし、オウム被害者救済法に基づく国の給付金約8億円を充てても、10億円余りが未払いのままという。房枝さんも全額を受け取れていない。 房枝さんら遺族の代理人伊東良徳弁護士は指摘する。 「教団側は財産を信者名義の口座や金庫に保管していると聞く。現在の法律では特定しきれない」 房枝さんは「泣き寝入りは駄目だ。国が損害賠償を立て替え、加害者側に請求する制度が必要だ」と訴える。 警察庁は今年4月、犯罪被害給付制度の改定案で給付金引き上げを決めたが、立て替え制度の導入は見送った。 今、房枝さんの心には奪われた未来に対する思いが残る。長男の子を見ると想像してしまう。「豊にも、こういう子がいたんじゃないか…」 ▽運命の分かれ道 「気が重く足が向かなかったが、30年たって来られた」 今年6月27日、1人が犠牲になった明治生命の会社寮跡地「田町児童遊園」に設けられた献花台に、松本市に暮らす自営業の女性(54)が訪れた。
会社寮で亡くなった榎田哲二さん=当時(45)=の部下だったという。会社の懇親会を途中で切り上げて帰宅した榎田さんが被害に遭った。 「運命の分かれ道だった。なぜ榎田さんだけが…」 献花台は、地元の2町会が今年初めて設置した。3日間の設置期間、引きも切らず多くの人が訪れ、手を合わせた。