未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓
▽間違った情報に安心感 公認心理師で臨床心理士の玉川真里さん(51)=広島県海田町=は指摘する。 「人は対処できないことに恐怖を感じる。間違った情報でも、得られたことで安心感を持つ。『自分も被害に遭うかも』との不安が、原因を突き止め、攻撃したい心理につながった」 中嶋記者らは当時、地元住民に河野さんの人柄を取材した。 「普段から暗かった」「何をやっているのか分からない」 こうした返答が、犯人視報道を裏付ける「証言」のように利用された。オウム真理教の関与が明らかになると「犯人が河野さんというのは、おかしいと思っていた」と住民の言葉も変わった。 玉川さんは「曖昧な状態では不安が生じるため、断定して信じたくなる。その人物が怪しいという証拠を話し始める」と説明する。それらしい話を聞くと「承認欲求により、情報発信したくなる」。昨今は、SNSでの急拡散につながる。 「ママが感染させた」。新型コロナウイルスに感染し2020年に病死したタレント志村けんさんを巡り、大阪・北新地の高級クラブで働く女性がネット上で標的となった騒動は、今もなくならない「犯人視」の一例だ。感染させたとの事実無根の情報が拡散し、女性に中傷や脅迫のメッセージが多数送りつけられた。
玉川さんはこう警鐘を鳴らす。「他人の意見に乗っかることは簡単だが、自分で考え行動しなければ、犯人視は常に起こりうる」 ▽非公式情報にひきずられ 発生10日目までには、県警が押収した薬品からサリンが生成できないことなどが判明したが、報道の訂正には至らなかった。 翌1995年3月、東京で地下鉄サリン事件が発生。5月、一連の事件でオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚ら教団幹部が逮捕された。6月、県警は河野さんの事件関与を正式に否定。各社がおわび記事を出した。 共同通信は、事件発生から1年に合わせておわび記事を配信した。 「河野さんが毒ガスを発生させたかのような印象を与えたが、誤りだった」 検証記事ではこう総括した。 「河野さん『クロ説』をとる捜査当局の非公式情報に引きずられ、一方的な見方による報道を続けた」 ▽負の歴史 多くのメディアにとって、犯人視報道に走った松本サリン事件は「負の歴史」とも言える。長野市のテレビ局の元記者らは「過去に目をつぶるのではなく、学び、語り継いでいくことが大事」と、講演などで反省や教訓を伝えている。