未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓
発生7日目の7月3日には、捜査1課長が原因物質を「サリンと推定される」と発表。上原さんは「薬品A班」のリーダーに任命され、文献や専門家の意見を参考に、サリンの生成方法を割り出していった。 生成に必要な薬品の販売ルートをたどると、オウム真理教のダミー会社が浮上した。県警が発生約1カ月後、退院直後の河野さんを2日間事情聴取する以前に、「オウムの影は出てきていた」と上原さん。「冬ごろには確信を持っていた」 上原さんは「猛毒のサリン。一般家庭では作れないと違和感を持っていた」と振り返る。一方で「県警には河野さんが犯人だと思った人もいたかもしれない」。 薬品捜査がおおむね終わり、刑事らがダミー会社の倉庫に張り込みをしていた1995年3月20日、東京で地下鉄サリン事件が起きた。「やられてしまった」。オウムだと直感した。 オウムの存在はつかめていた。ただ、サリンを生成した人物や噴霧した実行行為者にはたどり着けなかった。上原さんは悔しさをにじませる。
「あともう1歩だったんだ」 ▽バケツで作れる 化学者たちはどうだったのか。長野県の公害対策部門も、すぐに原因物質の特定作業に取りかかった。 長野県衛生公害研究所(当時)の研究員だった小沢秀明・現信州大特任教授(66)は、発生翌日の6月28日、河野さん宅で池の水を採取した。すぐには原因物質を特定できなかったが、消去法でサリンだと答えを出した。 「なぜ化学兵器のサリンが、日本に」。サリンは一般的な農薬からは生成が難しく、猛毒が発生するため排気装置が必要だ。 だが、「市販の農薬をバケツでかき混ぜれば生成できる」といった専門家のコメントが報道された。小沢さんは振り返る。「当時確かな知識を持っている化学者はほとんどいなかった」 農薬に詳しい元国際基督教大教授の田坂興亜さん(84)は、報道機関が警察発表に引きずられ、不確かな専門家の見解を報じたと指摘する。 「サリンの生成過程をしっかり理解していれば、誤った情報だと見抜けたはずだ」 ▽喪失感