未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓
考えてみてほしい。ある日突然、事件の犯人のように仕立てられ、自分のことが新聞に載ったとしたら。警察に家宅捜索され、喋ってもいないことを報道されたとしたら―。 【写真】サリンが入った袋7つを回収した元警察官の述懐 今も手に残る「ぬるっとした感触」
1994年に発生した「松本サリン事件」で実際に起きた出来事だ。メディアは、第1通報者で当時会社員の被害者、河野義行さん(74)を犯人視する報道を展開した。オウム真理教による化学テロだと分かると、共同通信を含む各社は河野さんへのおわび記事を掲載。事件報道の在り方に重い課題を残した 30年たった今も、新型コロナウイルス感染を巡るSNS上の騒動など、不確実な情報で特定の人物が標的にされる現象は起きている。不安から犯人を捜し出し、つるし上げる集団心理の一つだとも分析される。なぜ、繰り返されるのか。当時の報道を、自省を込めて振り返る。(共同通信長野支局=奈良幸成、富田真子、橋本圭太) ▽松本サリン事件 1994年6月27日夜、長野県松本市の長野地裁松本支部の裁判官宿舎に近い住宅街で、猛毒のサリンが噴霧された。 住民7人が死亡、約600人の重軽症者が出た。河野さんと妻の澄子さんも入院。2008年8月には、意識不明が続いていた澄子さんが亡くなり、犠牲者は8人となった。今も後遺症で苦しむ人たちがいる。
オウム真理教による犯行と分かるのは約1年後だ。発生当初は有毒ガスの正体も分からなかった。 長野県警は発生翌日、第1通報者の河野さん宅を容疑者不詳のまま殺人容疑で家宅捜索し、「一般の家庭にはない薬品を押収した」と発表した。河野さんが写真の現像などに使っていた青酸系の薬品とみられる。 これを受け、報道各社は河野さんを名指しこそしなかったものの、犯人視報道を始めた。 「会社員が、庭で除草剤を作ろうとして薬品の調合に失敗した」 「会社員が農薬の調合を間違えた」 「関与をほのめかした」 ▽警察も消防も大混乱 「集団ガス中毒事故と発表され、原因物質も、ガスがどう拡散したのかも、何も分からなかった。警察も消防も大混乱だった。宗教団体の関与を予想できた人はいなかったはずだ」 共同通信長野支局で県警担当キャップとして取材に当たった中嶋一成記者(60)は当時を振り返る。「家宅捜索を機に、警察は河野さんが犯人と思っていると感じた」