【バレー】細田学園高のベンチに下北沢成徳高の小川良樹前監督⁉︎ 「もうバレーはないかな」から就任に至るまで【伊藤潔美監督×小川エグゼクティブアドバイザー対談①】
――下北沢成徳高監督時代、小川エグゼクティブアドバイザーは細田学園高にどんな印象を持っていましたか? 小川 知っている人はみんなわかっていますが、関東のチームでディフェンスとつなぎがいちばんいいのは細田です。成徳は単純な攻めのチームなので、それが全国で通用するかどうかを確認するために、細田のレシーブをお借りしていました。守りがいいので、シーズンの前半戦は打っても決まらないんです。 それに対して、選手たちには「どう決めるのですか?」と。相手のレシーブ、ブロックをかわして決めろ、ということではなくて、自分たちの高さとパワーでレシーブに勝っていくぐらい打ち込めるように。細田のディフェンスをターゲットにしながら、どの時点で決まり始めるかを見ながらチームをつくって、そこから全国のディフェンス自慢のチームに試していました。細田に対して決まるか決まらないかは、選手たちの大きな課題でしたね。 伊藤 逆にうちは成徳にあれだけ打ってもらうと、打球が遅く見えて、県内で戦うのがすごく楽になりました。今まで全国大会に出られないだろうという代はたくさんありましたが、出られたのは、ほんとうに成徳、小川先生のおかげですね。 小川 お互いさまですよ(笑) 練習試合はお互いのレベルを上げるためにしていることですから。 伊藤 ゲームにならないこともたくさんありましたが、それでも何セットもやっていただいて。ただ、もっとすごいのは、成徳の選手たちは試合をする前に1時間ぐらいランをして(走って)いるんです。それでもすごくて、この子たちはどうなっているのだろうとは思いました(笑) 今はそのノウハウを教えていただいて。ランやトレーニングのメニューも取り入れたり。おかげさまで、ちょっとずつパワーがついてきていますね。 取材/田中風太(編集部) 写真/山岡邦彦(NBP) 伊藤潔美 いとう・きよみ/1959年11月3日生まれ/早稲田実高(東京)→早稲田大 小川良樹 おがわ・よしき/1955年10月29日生まれ/早稲田大高(東京)→早稲田大
月刊バレーボール